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 ももとせすぎてもこのままで。

Sammy 

​ 

「…ン?」
 クラージィが首を傾げてコップを見て、悪戯を成功させた吉田がニヤニヤと笑う。
「ふっふっふ、引っかかりましたね!」
「人工血液チガウシマス」
「そうです。それは甘酒っていうんですよ」
「アマザケ?」
「甘いお酒って書いて、甘酒です。お米からできてるミキよ」
「ナント!」
 クラージィが目をまん丸くして興味深げにコップの白い液体を眺めた。たぷん、と揺れた液体はすこし重たい、ノンアルコールタイプの甘酒だ。
 好き嫌いの分かれるところかもしれないが、三木は甘酒が好きだった。正月や雛祭りの時期なんかに、祖母が小鍋で甘酒を温めていたことを思い出す。
 最もあれは手作りで、もっとどろっと米の粒が残っていた。祖母が炊飯器で米と米麹で作ったものだ。生姜のすり下ろしたのを入れて、そのまま飲ませてくれた。
「もう雛祭りも近いんですねぇ」
 呟くと、クラージィがくるりと三木を見てヒナマツリ、と繰り返した。クラージィにとっては新しい単語なのだろう。
「雛祭りですよ」
「…吸血鬼対策課ノ?」
「ああ、ヒナイチさんとは関係なくて」
 クラージィはヒナイチを知っていて、吉田は知らない。吉田に、ヒナイチさんという吸血鬼対策課の女性がいるのだと説明しながら、三木は携帯端末を操作した。
「雛、祭り。雛は鳥の子供のことを言ったりもしますが、ここでは雛人形っていう人形のことです」
「オ人形ノオ祭リ」
「女の子のお祭りなんですよ、僕も姪っ子の雛人形飾るの、手伝ったなぁ」
 思い出の雛人形を脳裡に描いているのか、吉田がしみじみした声をだす。
「オ人形デアレバ、ドンナ人形デモオ祭リナルシマスカ」
 そういって懐から出した小さな指人形(吸血鬼おままごと大好きに巻き込まれた際のプレゼントだったはずだ)を取り出したクラージィに、吉田がいやいやと首を振る。
「お人形じゃなくて女の子のお祭りなんです。なので今日は…」
 吉田がドン、と全然隠せてもいなかったどでかいダンボールをテーブルの上にのせる。とても大きい。男四人でみちみちの、寒がりのクラージィのために未だ撤去されていないコタツの天板を占拠したその中身は、どでかい寿司桶だった。いやもうこの大きさ、寿司桶っていうより盥じゃなかろうか。

 米を三キロ、卵が二パック、干し椎茸百グラム、桜でんぶたくさん、冷凍絹さやは一袋、レンコンが短いの二キロ。煮穴子は二本で海老が二パック、人参は一本でいくらと生食用サーモンが一パックずつ。
「今日は…行程がやばそうですね」
「ええ。いやでも煮穴子とサーモンは切ってのせるだけだし…絹さやもさっと湯がいて切るだけでしょう、桜でんぶもかけるだけなので…」
「タマゴ!何シマスカ!私ハオ砂糖入レタ甘イノニマヨネーズトオ醤油入レル好キデス!」
「今日は卵焼きじゃなくて錦糸卵を作るミキ~」
「海老は背わたとって茹でて、干し椎茸も水でもどして煮るしレンコンも茹でないと…今日は大変ですよクラさん」
「フフ、毒モ食ラウ、栄養モ食ラウデス」
「ちょっと違う気がしますが、まぁ食べるのも大変ですねぇ」
 腕まくりするクラージィに、吉田が微笑ましい目を向ける。まずは一番時間がかかる米を炊かねばと、三木は吉田の家の一人暮らしなのに十合炊きの、これまたでかい炊飯器に入れるため、ザルに十合の米をぶち込んだ。
「…クラさん?」
 米を洗おうと腕まくりした三木の後ろから、クラージィがザルを覗き込もうとしている。一度米を洗って粗めの米粉を作って以来、米を洗うのを自粛しているようだったけれども、もしかして洗いたいのか。
「クラさんが洗いますか?それなら俺、椎茸煮ますけど」
「コレデ甘酒作ルシマスカ」
「え?ああ、甘酒ですか?手作りは出来なくもないですけど、あれは時間かかりますよ」
「えっ、三木さん甘酒作れるの?」
 クラージィと三木の会話に、人参の飾り切りにチャレンジしていた吉田がぱっと顔をあげる。
「ええ、米麹で作るのも酒粕で作るのも作ったことありますよ。でも俺の家で作るのはもち米と米糀で作るやつで」
 クラージィに米を洗うのを代わってもらいながら吉田に視線を向けると、吉田が戸棚からビニール袋を取り出した。しゃらっという音で、中にあるそれが米粒であろうことが解る。つまり。
「雛祭りのあとに、締めで手作りの甘酒飲みましょう!」
「アー。じゃあ米糀と生姜買ってきますか」
「生姜、私ノ家アルシマス」
 ざぶざぶとおそるおそる米を洗っているクラージィがぱっと笑った。
「三木サン家ノアマザケ、飲ムシマショウ」
「クラさん、もうお米大丈夫ですよ」
「ワッ!」
 ちいさくて可愛い悲鳴をあげながら、クラージィがザルから腕を引っこ抜いた。

 米糀のためだけに外に出ると、ほんのり寒い。三寒四温とは言うが、それにしたって最近の天気は不安定だ。昨日はうだるほど温かかったのに。
 足早にスーパーの中に入る。中はほんのりと温かく、雛祭りフェアのディスプレイがそこかしこにあしらわれている。
 ピンクとか緑とか黄色とかの、可愛いお祝い。
 三木の雛祭りは、そのくらいの感想だった。売り場の仕事をすればちらし寿司用の食材やひなあられを発注し、売り切れるだろうかと声を張り上げて、注文の入ったちらし寿司を配達し、最近の雛人形はお内裏様とお雛様だけのもの。
 三木の家には、縁遠い行事でもある。祖母が甘酒を作り、質素なちらし寿司を作る日でしかなかった。弟と二人、男兄弟の家では子供の日の方がメインだった。誕生日はそれほど祝うことはなかった。
 料理を二人に任せ、スーパーの米糀をぼんやりと見つめながら三木は思う。
 可愛くて、縁遠いお祭りを、成人男三人で。言葉にすると馬鹿馬鹿しいような、うすら寒いような気がする、けれども、なんだか子供に戻ったような気持ちだった。
 吉田やクラージィと一緒にいると、時折、子供の頃に戻ったような気持ちになる。弟を川に落としてしまう前の、無責任で無計画で、何も知らなかった時みたいだ。過去も未来もぼんやりしてて、ただ毎日が鮮烈なくらい明るくて今のことしか考えられなかったころ。
「あれ、三木さん?」
「……ドーモ」
 にこやかに話しかけてきた中年の女性は、このスーパーでパート勤続五年の林田さんだ。三木が助っ人で何度かレジ打ちや品出した時に指導に入ってくれた、面倒見の良さがある。
「三木さん最近来ないのねぇ」
「俺が来ないってことは人が足りてるってことなんで」
「そうだけど、三木さん背が高いでしょ?もー高い所のテキパキ取ってくれるんだものぉ、また助っ人に来て欲しいワ」
「ハハ…機会があれば。あ、林田さん、米糀の置き場代わりました?」
 前は確かこのあたりに、と言うと、林田さんはそうよぉと笑った。
「雛祭りやからね、甘酒つくる人多いでしょ?あそこ、ひなあられの横に置いてあるんよ」
 旦那さんの転勤が多く、あっちこっちの方言が混ざったあと治らなくなったとは本人談の林田さんのセンスはやや謎だ。
 小さくころんとした雛人形を真ん中に、周囲を覆うようにもっさりと置かれたひなあられ。ひなあられをどうやったらこんなもっさり積めるのか。横にどかんと積まれた缶の甘酒と米糀。
 一袋手にとって、レジへと向かう右手に、生花コーナーがあった。ふと目が止まるそれに、無計画に手を伸ばした。これくらいなら、多分きっと怒られないだろう。それくらいは解るようになった。

「ただいま戻りましたミキよー」
「オカエリナサイ!三木サン助ケテ!」
「解りました」
「わぁ…内容も聞かずに即答しちゃうんだから」
 吉田の呆れたような声を聞きながら、三木はいそいそと中に入る。吉田とクラージィが、三木の持っているそれを見て目をまん丸くする。
「あの……まぁ、雛祭りですんで」
 少し首を竦めてそういうと、吉田もクラージィも仕方がないと言わんばかりに目を細めた。吉田が、コップじゃ無理そうですねぇと押し入れに向かう。
「クラさん、何を助けたら良いんですか?」
「コレ、糸ナラナイ」
「どれどれ」
 持っていたものを寿司桶の横に無理矢理置いて近づく。錦糸卵…が錦布卵みたいになっていて、思わず声を上げて笑ってしまった。

 新生児なら沐浴しても余裕があるだろうでかい寿司桶にみっしり入ったピカピカの酢飯、を覆い隠す桜でんぶ。絹さや、卵。ピンクや緑や黄色の、可愛いお寿司の上に、海老とサーモンといくら、煮た椎茸、薄切りのレンコン、茹でた海老。
「なんだかすごいことになりましたねぇ」
「ゴローさんの真似ですか、三木さん」
「えっ…誰ですか?」
「三木サン、孤独ナ美食家ヲ知ラナイ」
「ドラマですよね、なんか原作漫画の」
 さっきの言葉、何かしらのネットミームみたいなものに掠っていたのか。元ネタなんだろうと推測しながら、三木豪華なちらし寿司にしゃもじをさくっとつきさした。
 吉田は普通盛り、三木は大盛り、クラージィはお化け盛りだ。ちなみにお化け盛りはなんかマンガ盛りを通り越してシーツお化けみたいなシルエットになっていることを差していて、平皿だと崩れたときに零れるからクラージィの皿だけドでかいサラダボウルだ。
 よそわれたちらし寿司は、具がごちゃごちゃしていて色とりどりで、子供の落書きみたいに明るかった。いただきます、と三人声を揃えて箸をつける。
「酢の加減いいですねぇ」
 いくらのしょっぱさと丁度良いです、と吉田がもごもごと口を動かし、クラージィは大胆にスプーンでお化けを削るようにしてさくさくと食べている。
 最初の一口は、と思って、そう思っている自分に気付いて可笑しくなった。いつもはせかされたように慌てて掻き込んで、多分二人と出会わなければずっとそうだった。目の前にあるものをちゃんと意識して、大事に食べようと思えるようになったのはいつからだったろう。
 卵と、椎茸と、絹さや。祖母が作ってくれたちらし寿司に入っていたのはそれだけだった。桜でんぶはなくて、代わりにかんぴょうを甘く煮たのが入っていることがあった。
 卵と椎茸と絹さやだけをご飯に乗っける。桜でんぶは多すぎて避けようが無かった。けれども、一口食べて思い出したのは、子供のころちらし寿司がよそわれた茶碗だ。
 そうだ、確か子供用の、日曜の朝の戦隊ヒーローのイラストが書かれた茶碗だった。右端の、黄色いやつのイラストが禿げてしまっていた。
「…三木さん?」
「ドウカシマシタカ?」
 はっとして二人を見る。一口食べてフリーズした三木を、二人がふしぎそうに見つめていた。口の中にある味は、昔のものとは少しずつ違うけれども、少しずつ似ていて、それがより強く昔のことを思い出させた。

「ちょっと昔のことを思い出して…子供の頃、祖母がちらし寿司を作ってくれてまして」
「へぇ…」
「男ばっかでしたけど、むさ苦しいばっかりじゃあいけないと思ったのかもしれません」
「三木サンノ家ノ味デスネ」
「はい。ちょっと似てて…懐かしいです」
 視線を落として、新しくてごちゃごちゃした、可愛らしいお寿司を見る。二人の視線が妙に温かいのが、居心地が悪いよりも照れくさいに代わったのもいつからだったか。照れを隠すようにちらし寿司を口に運びながらふと視線を向けると、クラージィのお化けが半分くらい無くなって、吉田も半分くらいもう食べている。
「三木さん最近たべるの遅くなりましたね」
「三木サン良ク噛ム、偉イデス。毒モ食ラウ、栄養モ食ラウデス」
「いやあの…そんな小学生みたいなとこで褒められると…いや、ありがとうございます」
「この後はハマグリのすまし汁もありますよ、普通量ですけど」
「クラさん、後のことは頼みます」
「任セルシテクダサイ!甘酒モ楽シミデス」
 二匹目のお化けを召喚しながらクラージィがからりと笑う。全くもって末恐ろしい。頼みます、と調子に乗ってすまし汁を作った吉田本人までもクラさんを縋るように見る。
 クラージィは自信たっぷりな風情で頷いた。

 三人で腹を抱えている。面白いのではなく、苦しいからだ。流石に食べ過ぎた。クラージィがウゥ、と瀕死の声をあげている。サラダボウル五杯は食べ過ぎだ。
「これは…甘酒はちょっと無理ですね」
 フウフウと息をしながら吉田がか細い声で言うので、三木もそうですね、と返した。クラージィも悔しげに頷く。
「ムネン…ガクッ」
「本当に…日本語を覚えられましたね…」
「ガクッまではいらないですよぉ…」
 ああ本当に。本当に無計画になってしまった。次から吉田の家で食事をするとき用の胃薬を置いておかなければ。胃をさすりながらぼんやりと三木は思う。それでも。
 ちょっとくらいの、これくらいの後悔や苦しみも悪いもんじゃないと思ってしまえるくらいには、居心地がよくて楽しい。
 三木が買った梅の一枝は、苦しむ男三人に呆れてため息を吐くように、ふわりと甘い匂いを吐いた。

 炊飯器のなかで作られた甘酒は、紅梅をかき消すような甘い匂いをほこほことたてている。三木と吉田の腹には、昨日のちらし寿司がまだしっかりともたれているが、一晩たつとクラージィだけはしっかりと復活して、昨日は見るのも苦しいとシンクに押し遣ったサラダボウルに甘酒を全部いれて、まるで粥でもたべるように口に運んでいる。
「美味しいですか?」
「ハイ!自然ナ甘ミ…豊カナ風味…」
「…吉田さん、これの元ネタは?」
「いや…多分解んないんですけど、この前ヌットフリックスで見たグルメ系の番組かと…」
 猫の背を撫でている吉田は、時折もたれた胃を擦った。三木も自分の胃のあたりを撫でた。大盛りを一杯と普通盛りを一杯と半分食べた胃は、今日の昼までは少なくともお腹がいっぱいだと訴えている。
「甘酒モ人工血液モ牛乳モ白イ、白イ食物、私ヲ助ケルシテクレマス」
 甘酒を殆ど食べたクラージィが感慨深げに言う。
「私ガ血飲ム嫌ガッテ、赤色ニシタ人工血液モ嫌ガッタ時、二人ハ白イ人工血液売ッテイル所ヲ町中探スシテクレマシタ。人工血液ト沢山ノ食ベ物無イスルト、私空腹デ死ヌスル。私ガ今モズット元気、吉田サンガ探シテクレタリ、三木サンハ売リ場増ヤスヨウ会社ノ人ト相談スルシテクレタオカゲデス」
 そういってクラージィは、甘酒を一掬いして吉田の口元に持って行く。所謂、あーんの状態だ。
「甘酒、昨日寝ルマエチョット調ベルシタ。身体ニ良イ書イテアッタ。一口食ベルガ良イデス」
 ニコニコと、邪気のない百パーセント親切の笑顔。吉田が一瞬、もたれた胃のあたりを擦って躊躇し、そのあと腹をくくった顔でありがとうございます、とそのまま大人しくあーんされている。
 でかいレンゲの一口、大変そうだなぁと思う。そして、残った最後の甘酒をレンゲに並々たっぷりと掬ったクラージィが、三木を見る。
 吉田が食べたのだ。自分が断る訳にもいかない。そうでなくとも不摂生を二人に度々とがめられているのだ。今更一口二口食べたところで胃もたれがどうこうなる訳でもない。
「三木サンハ沢山働クスル。沢山食ベルガ良イデス」
 そういって、差し出されたレンゲ。山盛りのつやつやの甘酒が、朝日を反射している。
「いただきます」
 ぱくりと口に含む。祖母が甘酒を煮る時の優しい音が、鼓膜を裏側から擽った。

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