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 続く明日に楽しみを

アノニマス 

​ 

「うわ……うっま…………」
 向かいで、本当に小さくそう呟いた三木と、ばっちり目が合った。嬉しくなって断りもなく注いだほうじ茶のお代わりを、少し照れくさげな左手が受け取っていく。
「まじで美味いです、この紫蘇おにぎり」
「まだありますからもう一個どう?これねえ、自分でもおいしく出来たと思うんですけど、調味料量らなかったからもう作れないかも」
「えっ」「エッ」
「んふ、味わってくださいね」
「ナンタル、残酷ナ仕打チカ……!」
「この味が一度きりなんて勿体ないですよ……!」
 ずいぶん大袈裟だなぁ、と思いながら、吉田は自分の分に手を付ける。いま握ったばかりのできたて、あつあつ。しろく輝く銀シャリに巻かれているのは、海苔ではなく、特製の漬けだれに浸かって、しんなりしていた青じそだ。炊きたてご飯の湯気で立ちあがったごま油としその香りがもう既においしい。
 あぐ、一口頬張って、ちょっと上手くいかなかった。しそが噛み切れない。これはやや食べ辛いのが難点だ、次は真ん中に切れ込みでも入れれば良いのかもしれない。味は……、うん、良い塩梅。味覇入れたんだっけか。濃いめの漬けだれの旨味と散らしたごまの風味、癖のない青しその爽やかさが良くご飯と絡んでいる。中の梅干しがあっさりした塩気なのも丁度良い。いま食べているのに、もう一口食べ進めたくなるような、あと引く味だ。

 本日のご飯のテーマは『おにぎりパーティー』です、と伝えたとき、最初ふたりはいまいちピンとこなかったみたいで、巨大おにぎりですかね?なんて首を傾げていた。それぞれ炊飯器を持ち寄ってきたその目がぱっちりと開いたのは、色よく盛り付けられた卵焼きにお浸しに豚汁、網焼きのスタンバイを終えたカセットコンロ、そして、机に整然と並べられた、二十種類はゆうに超えている大量のご飯のお供達を目の当たりにしてからだ。
 これから作るのは、本気の、おにぎりです。そう告げた瞬間、ぎらりと光ったふたりの眼光は確かに本職のそれだった。自分も負けている積もりはないけれど。

 油を塗った、小さな焼き網の上で、ご飯に柔らかく塗り付けた味噌がちりちりと少しずつ炙られていく。ご飯に混ぜ込んだかつお節も一緒くたに、香ばしく焦げていく、その出来上がりの待ち遠しさと言ったらない。隣部屋からキャット達が浮足立っている足音が聞こえてくる。換気扇は回しっぱなしだけど、こんなに良い香りがしていれば無理もなかった。
 行儀よく並んだ三個とも、手際よく引っくり返していくのは三木の手だ。
「匂いだけで酒が進むねえ……」
「気持ちは分かりますよ……犯罪的だなコレ……」
「マダデスカ」
「もう一分半待った方が絶対おいしい」
「クッ……承知」
 断腸の表情でクラージィは四個目の生ハムチーズおにぎりを作り始めている。刻んだ生ハムとチーズにオリーブオイル、そこにほんの数滴レモン汁を垂らして和えただけ、それだけなんだけど大分気に入ったらしい。ぼちぼちなくなってしまいそうだ。今度また作ろう、と頭の片隅にメモを取る。なくなりそうといえば、ぱかり。ああ、やっぱり。
「次も四合で良いですか」
 お願いします、と揃った返事。炊飯器三台を使って代わる代わるご飯を炊いているのだけど、空いたそばから早炊きしても追いつかない。お腹に溜まって膨らむはずの白米は一体、彼等の身体のどこに収まっているんだろうか。何回も見ているから、もう驚かなくなって久しいけれど、何回見ていても、特に疑問が消えるということはない。
 研いで炊飯スイッチを押す頃には、どうやら生ハムチーズおにぎりは完売になったようだった。決して早食いではないのに、いつの間にかとんでもない量をけろっとした顔で食べているのでびびる。
 一方で、ボウルの中でゆかりと鮭フレークとわかめの黄金比率を真剣に探し求めている人もいる。混ぜごはんの素を混ぜたい放題な状況を前に、静かにテンションが上がっているらしい。気持ちは良く分かる。四種類目から味が迷子になるんだ、あれ。あとしょっぱくなりがち。経験者は語る。
 あ。そういえば。
 冷蔵庫に戻って、すっかり忘れていたものを取り出した。
「そろそろ、良いんじゃないですか」
「待ッテマシタ!」
「ナイスタイミング」
 持ち物で塞がった手ではちはちと控えめな拍手を送りながら。食卓に戻ってくると、ちょっと勿体ぶった振る舞いのトング捌きで、うやうやしく焼きおにぎりがサーブされてきた。その、焼き目ときたら。
「良い焼き具合だ……!」
「光栄です」
 仕草だけはお上品に、トングが二回鳴らされる。
 あんまり焦がすと、見た目と香りは最高だけどぱさぱさで風味も飛んでしまったなんて事になりがちで、これを上手に焼くのは案外難しいのだ。お出しされたのは、真ん中はしっかり焦げ茶色の焼き目がついてるけど、周りの味噌は炙って軽く乾かしたくらいの絶妙なしっとり加減で、ああ、もう早く食べたい。
 なんとなく各々改めて手を組み手を合わせて、あとは無言でかぶりつく。
「あっっつ……、あー、うまーい」
「……」「……」
「君たち顔が怖くなってますよ?」
「……」「……」
 突然静かになってしまったふたりの作画が劇画調になっている。
 つられて、つい口を噤んだ。沈黙の中、さんにんで黙々と焼きおにぎりを咀嚼するシュールな時間が過ぎていく。丁寧に、ゆっくりと噛み締めて。ようよう場の空気が緩んだのは、全員が、米を一粒残らず飲み込んでからだった。
 ほう、と誰のものともつかないため息一つ。
「モウ一個……」
「ええ、焼きましょう」
 ……この、瞬間。
 こういう瞬間を見てると、酒が進んでしまってしょうがない。
 お代わりのためにかつお節のパックを開ける顔こそほほえんでいても、内心はもっと悪どい笑みを浮かべていた。なんせこのお隣さん達は、大変に作り甲斐のある反応をしてくれるものだから。
 醤油味とどっちが好き?と聞くと案の定悩ましい顔をするので、僕は味噌と混ぜて塗るのも、片面ずつ塗って焼くのも好きなんですよね、なんて悪魔のように唆しながら杯を傾けた。辛口のさらっとした飲み口が、今の気分にしっくりとはまって、丁度良い。
 結局全部食べ比べてみようとなって、焼き網の上にまた小ぶりのおにぎりが並べられていく。
 自分はそこまでの健啖家ではないから、早々に腹が張ってきつつあった。ただでさえ米が過多だ。あまり胃腸に無理はさせられない。出汁に浸したほうれん草を箸休めに、あとは、ゆっくり飲むことにしようと、さっき冷蔵庫から取り出したばかりのタッパーを、ぱかりと開ける。
「そういえば忘れてたんですけど、こんなのもありますよ」
 四つの目が、手許に向けられる。

 それが、事のはじまりだった。

 

 * * *

 

「……美味シイ……!!」
 弾けるような褒め言葉の素直さに、つい頬が緩む。これは多分好みだろうとつけていたアタリは、彼にドンピシャだったようだ。
「めちゃくちゃ簡単なんですよ、コレ。の割にちょっと手間かけた感あって、美味いですよね」
「スプーンガ止マリマセン」
「まだあるんで、遠慮なくどうぞ」
「わあ用意がいい」
 とん、とん、と並べた紙製のパック、その数三個。この中には、無糖のヨーグルトと、ドライフルーツが入っている。ヨーグルトの水気をドライフルーツが吸って、しばらく置いておくと程よくもったりした食感に変わるという、ちょっとした裏ワザだ。
「これ、水切りもしたんですか?」
「しましたよ。教えてくれた奴はギリシャヨーグルトだと楽だって言ってたんですけど、こっちの方がコスパ良くて」
「なるほどー、通りで味が濃くて……おいしい。いやあおつまみにする発想は無かったなぁ……」
 唸りながら匙を進めている吉田の皿には、更に塩気の効いたミックスナッツを乗せている。似たようなものを職場のバーの先付けで出したことがあって試してみたのだが、これが案外相性が良い。塩味を効かせるだけで、ちょっとしたデザートが途端、酒の肴へと変化する。黒胡椒振ってみるのも良いかもな、そう呟く顔が楽しげだ。
「水気を切ったときの、水の方はどうしたんです?結構多くなったでしょう」
「ああ、全部飲みました」
「あはは、三ッ木ーらしい。あれでホットケーキ作ると凄いふかふかのホットケーキが焼けるって、知ってました?」
「エッ」
「知らなかったです」
「スゴイフカフカノホットケーキ……!?」
「あぁー、しくったな……」
「今度試しましょう、美味しいんですよ、さっぱりして」
「スゴイフカフカノホットケーキ楽シミデス」
「じゃあ、また今度ですね」
 何も考えず飲み下していた水分に、そんな使い道があったのか。取っておけば良かった。薄い後悔を抱えながら、三木もスプーンを手に取る。掬い取ったヨーグルトは、引っくり返しても落ちそうにない位、しっかりと固い。
 口に入れた瞬間、広がる酸味。砂糖っ気のない濃厚な味に、唾液腺が刺激される。その後を追って徐々に甘味が顔を出してくる。締まった舌触りの中で、ふやけたドライフルーツの食感が賑々しい。これは多分マンゴーだ。なんとなく、贅沢な味がする。
「フフ、贅沢デス」
「ですよねえ」
 どうやら、同じことを考えていたらしい。彼の生まれた頃、こういうものは今より高級品だったんだろうか。大事そうに一口一口味わっているその姿は、少し、昔を懐かしんでいるようにも見えた。
 時刻は夜八時半。晩飯を一緒にしようという約束は、別になかった。ただ、この間言ってたやつを見つけたので差し入れても良いですか、とRINEしたら、偶然ふたりとも食事は済ませた後で、家で暇をしていて。ごく自然に集まる流れになり、今に至る。

「結構楽しいもんですね。混ぜてほっとくだけなのに」
「出来上がりまで間が空くのが逆に良いよねー、こういうのは。ちょっと楽しみを先に置いてる感じがして」
「でも、こないだのアレはなんか同じ味にならなくて」
「そうなの?あー、……実は、今日持ってきたんですけど」
「ホントデスカ」「ありがとうございます」「食い気味……、はい、これどうぞ」
 渡された小さなタッパーは、二つずつあった。
「先週のおにぎりパーティーのとき、好評だったでしょ?」
 味は同じじゃないかもしれませんけど、と少し照れくさそうな微笑。蓋を開けてみると、自分には青じそのタレ漬け、クラージィには生ハムとチーズ和え、そしてそれぞれもう一箱ずつ、卵の黄身の醤油漬けが詰められていた。
「!コレ!好キデス!」
「えっ、こんなに……、良いんですか」
 会う約束はしていなかったのに、わざわざ用意してくれていたんだろうか。しかも、この組み合わせは、完全に。その思考をなぞって、じわり、むず痒い感覚が頬のあたりに集まった。
「ほんとは、明日渡そうと思ってたんですよ。今日会うならちょうど良いなって思って。黄身漬けはおにぎりにするなら明後日くらいがおすすめですよ、まだ柔らかいから。卵かけごはんにするなら、明日でも良いですけどね?」
「ナ……悩マシイ……」
「ほら、悩まなくてもいくつか入ってますから、ね?」
 その笑顔に後光が差して見えた。
「吉田サン……!」
「っ吉田さん……!」
 衝動で財布に手が伸びかける。この湧き上がった感謝を示す方法がそれ以外に思いつかない。だが、完全に取り出す寸前にふっと弟の真顔が思い浮かんで、止めた。
 ありがとうございます、と伝えた言葉は多分、挙動不審ぎみだったんじゃないかと思うが、こちらこそどうもー、と柔らかく受け流される。
 タッパーをゆるりと揺らした。つやつやとした黄身が四玉、まるく、醤油の中で旨味を吸い込んでいる。漂ってきた食欲を唆る香り、端の方からこっくりと澄んだ紅色に染まっていて、コレ今食っても絶対に美味いだろ。そう揺るぎなく確信しながら、目立たないように生唾を飲んだ。
「明日ハ卵カケゴ飯ニシマス」
「クラさんが生卵も好きになってくれて良かった」
「新シイ卵、美味シイデス。古イ卵ハ危ナイケドココニハ新シイ卵ガ沢山アル、良イコトデス」
「んふ、白身沢山出たのは冷凍してますから、古くなる前に何か作っちゃいましょう」
「白身は、何にしますか?」
「何でもできますよぉ。少しだけだったらかきたま汁にでもしちゃうんだけど、メレンゲにしたら色々使えるでしょう」
「ケーキトカ」
「うん、生クリームにするとか、シフォンケーキにするとか、アイスにもなるし」
「オオ……」
「……スフレオムレツってあれ、白身だけでしたっけ?」
「ああ、あの洒落たオムレツ。どうだっけ?できるんじゃないかな、上手く焼けば真っ白くなりそう」
「真ッ白イ、ケーキオムレツ……!」
「混ざってる混ざってる」
「いや、クラさん、それ正解です。……真っ白いパンケーキって、何年か前に流行ってましたよね」
「! それだ」
「?」
「あの店のキッチンに、昔入ってたことあって。ヨーグルトとメレンゲがあれば、良い感じに再現できるんじゃないですか?」
「やりましょう!ふわふわ真っ白いパンケーキになりますよ、SNS映えするような」
「アァ、SNS映エ……ソレハ、現代ノ接客業ニオケル重要戦略……リピーター確保、集客力ノ拡大ニ繋ガル手堅イ一手デアル……?」
「クラさん、どこでそんな知識を……、勤め先のカフェから?」
「ハイ。先輩ガ、店長ニ言ッテマシタ。オ客様増エル、ヨリ多クノねこ様ヲ、幸福ニデキル。ツマリ、世界平和ニマタ一歩近付ク。コレコソガ、完璧デ幸福ナ道筋ナノデス」
「思想が強くない?」
「クラさん、それは世間一般の常識ではないですからね」
 弾みだした会話は止まらない。とりとめのない雑談が、ゆるゆると弛んだ空気の隙間を縫うように、居心地の良い曖昧さで流れていく。ヨーグルトをもう一匙すくった。このごろっとした塊はなんだろうな。分からないが、味は良い。
「これは、『ほっとくだけで美味いやつ』リストに加えても良いですか?」
 お二方、と見やった先でほわりと上機嫌な顔が二つ。
「「さんせーい」」
 ……返事の切り出しも抑揚も、完全に一致していたのがやたらと面白かった。
「次はクラさんかな」
「いいの見つかりそうですか」
「……フフフ……実ハ、モウ、発見シマシタ」
「おっ」
「来週ニハ出来ルト思イマス。首ヲ洗ッテ待ッテイテクダサイ」
「なんか物騒だな」「楽しみにしてますよ」
 なぜかどことなく不敵な視線をなんとなく面白がりながら、三木は味変用のナッツへと手を伸ばした。

 * * *

 

「えっ……おいし……」
 思わず出た、といった感想だった。そうでしょう、と応じた返事は我が事ながら随分誇らしげな声をしていたと思う。
「本当ハ、Palincaヲ作ル予定デシタ」
「パーリンカ?って、なんですかクラさん」
「コレト、作リ方ガ違イマス。デスガ、果物ノオ酒デス」
 机に置いた硝子の水瓶の中で、とろみのある薄い橙色の液体が揺れた。
「コレハ砂糖使イマスガ、Palincaハ使イマセン」
 生まれ国の果実酒は、果実だけで仕込む。香りに芳醇な甘味を残しているが、飲んでみるとそれほど甘さは感じない。一方この果実酒は、氷砂糖を使って、まるで菓子のように甘く仕上げている。
「作ロウトシマシタガ、シュゼイホー?ニ引ッカカル?ラシイデ、止メラレマシタ」
 その時は他にも何事か説明されたのだが、私の耳では完全に聞き取ることができなかった。
「酒税法かあ」
 税金は何かとめんどくさいからね、と辛辣にぼやきながら乾かされた杯。もう一杯ください、という言葉に笑顔で応えた。まだ瓶はこんなにも重いのだ。存分に飲んで欲しい。
「口当たりが良いですね」
 そう呟く三木は手の中の湯気を見つめて、小さく息を吐くと共に目元を和ませた。お湯割りもイケますよ、という彼はそこまで酒を飲む方ではないのだが、小さな黒塗りの酒器は不思議とその指先に馴染んでいる。
「クチアタリガ良イ、ト、嬉シイ?」
「あー、口当たりが良いというのは、飲みやすい、美味しいってことです」
「ナルホド。口ガ当タリ、デスネ。良イコトデス。飲ミヤスイオ酒、Palincaモ一緒デス。ゴ飯ヲ食ベナガラ飲ミマスヨ」
「へえ、一度飲んでみたいですね……あ、あったあった。えっと……なんでも、食前酒、食事の前のお酒として飲まれることが多いんですって」
 そう言いながら吉田が見せてくれた画面には、美しい化粧瓶が映っていて、記憶よりも随分整った姿で売られているらしい様子が垣間見えた。ほんの一時、隔世の思いに駆られる。だが、その酒の色はしっかりと面影を残していて、変わらないものもあるのだ、とクラージィは目を細めた。
「酒屋でも探せばあるかな?」
「洋酒のコーナーになくもなさそう……あ、でもこれ、蒸留酒なんだ、四十度くらいありますよ」
 三木が目をみはった。
「それを食前に飲んでるんですか?」
「うん、しかもストレートが一般的だそうで」
「すげえな、お酒強い人が多いんですかね」
「身体温メルノニ飲ム事多カッタデス、オ酒強イカハ、分カラナイ」
「ここより寒いんでしたっけ……。これを飲んで、寒さを凌いでたんですか」
 なんだかかっこいいですね。ねえ。冬が厳しい地域の耐え方だ。
 気取らない、素直な言葉が少し面映ゆい。
「オフタリニモ、イツカ飲ンデミテ欲シイデス」
「じゃあ、今度探してみましょうか、ネットで頼んでも良いし」
「これに合うつまみも作りましょうよ」
 俺はまあひと舐めで限界来そうなんですけど、でも飲んでみたいですよ。そう短く笑う姿は、普段よりやや饒舌で、普段よりどこか愉しげだ。
 いっそパーリンカも一から作ってみる?ちゃんと、手続きを踏んで作れば良いんだしさ。邪気もなく企むような言葉も、普段より弾んでいる。
 どんな提案であれ、当たり前のように聞き入れて楽しげに段取りを膨らませてくれる、その得難さ。良い友と出会えた、と改めて噛み締めながら、クラージィも普段より高い声で返した。
「作リマショウ!」
「よし、申告の手続調べてみますね」
「僕も作り方見てみる。蒸留なんて理科の実験以来だ」
「私モイマノ作リ方、知リタイデス」
 歯車が噛み合うような滑らかさで、思いつきが輪郭を確かにしていく。
「そういえばクラさん、これはなんの果物で作るの?」
 はた、と聞かれた質問は、すこし回答が難しい。
「アー……、アノ頃ハ、ソノ時ニ採レタ果物ヲ使イマシタ。デスガ、今、沢山ノ果物ガ毎日買エマス。何デモ作レマス。以前ハPrunaデ作リマシタガ、……ココデ見タコトナイ」
 ないものでは作れない。どうしたものか。
「コノオ酒の果物ハ、ソノ時、スーパーデ選ビマシタヨ」
 檸檬。苺。蜜柑。ぶどうに林檎。来店したその時、一番色艶の良さそうなものを選んだ。皮をむいて、あるいは潰して。氷砂糖と専用の酒に漬け込んで、出来上がったのがこれだ。
「ぷるーな?って、……ああ、プルーンですか。確かにあんまり見ないですね。探してみようかな」
 軽く言ってスマホを手に取る吉田の向こうで、うーん、と唸る声。
「ミキサン、ドウシマシタ?」
「んー、いや…………、あはは、」
 何やら困ったような顔で画面の文字列を追っていた彼は、唐突にスマホを放った。
「お恥ずかしい、カタい文章読んでたら頭痛くなってきちゃって、」
 半笑いの軽い言葉は、まるで素面と変わらない声色だったが、
「全然頭に入らないんで、すみません、酔いが覚めたらまた調べますね」
「あら」「ミキサン酔イマシタカ」
「みたいです、ああお気遣いなく……助かります、ありがとうございますね」
 変わらない表情のまま、差し出した冷茶を飲む背だけがやや丸く、猫背になっていた。
「お湯割りとか熱燗って、結構急に回りますしねえ」
「スミマセンミキサン、アゲタノガ多カッタデスカ」
「そんな大したことないですよ、気にしないで。それにこれが美味かったから、それでつい、多めにお代わりしちゃったんです」
 具合が悪い訳ではなさそうなのが幸いだった。大人しい酩酊の仕方をした彼が、少し唐突に それよりも、と心配を遮る。
 指し示されたのは、机上の皿。
「いま思いついたんですが、……このお酒。パンケーキにかけても合うんじゃないですか?」
 自分の目の色が変わったのが分かる。
 それは、実に罪深い提案だった。
 そんなもの、試さずにいられようか。

 純白で、どこにも全く焦げ目のない、新雪のような生地。綿よりも柔らかく雲のようにその形は儚くしぼんでいってしまう。
 そんなスフレパンケーキが、音もなく、薄い橙色の果実酒と溶けかけたバニラアイスを吸っていく。
 無言であてがったフォークは、まるで抵抗なく皿に当たった。軽い。思わず息を潜めながら、かすかに震えるそれを口へと運ぶ。
 ぱっ、と、口の中で花開いた香りと甘味。歯を当てるまでもなく溶けていく、舌に華やいだ後味だけを残して、あっという間に消えていく。
「…………」
「うん」「分かりますよ」
 口を開いた瞬間この甘美な名残を失ってしまうのが惜しく、身振り手振りで伝えた感想は無事伝わったようだった。
 めちゃくちゃ美味しそうに食べますよね。こっちまで伝わってきます。そう言う三木にもぜひこの素晴らしい組み合わせを味わってほしかったが、無理強いはすべきでない。せめても言葉でこの感動を表したいのだが、
「ドチャクソ美味イデス」
「ええとクラさん……その言葉自体はとても正しいんですが、うーん」
「いいんじゃない?」
「微妙なラインです」
「厳しいなぁ」
 どうやら困らせてしまった。足りない語彙では上手く表現しきれないのがもどかしくもある。
 ここまで代わる代わる、次々焼いては多種多様な具材を合わせて楽しんできたパンケーキだが、最後の一口を食べきっても尚、欲深くもう一枚を求めてしまう。それ程に美味だった。
 杯の残りを舌に乗せて、ゆったりと味わいきる。満足が溢れた、その鼻を抜ける香りも幸福に変わって解けた。
「美味シカッタデス……」
 食後の祈りを捧げて、それでも心がまだ魔性の組み合わせから離れられずにいる。ふたりの言葉もなかった。穏やかな空間に広がる、満ち足りた沈黙が心地良い。
 余韻が収まる頃、気配の薄い手が差し出してくれた冷茶のお代わりを飲み干して、ようやっと夢心地から覚める。
 完食しましたねえ、と呆けた声。しちゃいましたねえ、と若干の後悔が滲む声。
「また、痩せられそうにないです」
 そう苦笑いを浮かべながら、吉田は肩を竦めた。
「吉田サン、ミキサン、コノオ酒ハ『明日ノオ楽シミ』ニナリマスカ?」
「もちろん」
「なりますよ」
 その答えに安堵して、すっかり空になった瓶を見る。
「このリスト、また思いついたら増やしていきましょうね」
 ── 置いとくだけで美味しくなるものが家にあると、それだけでなんか嬉しくなるんですよ。
 あの、本気のおにぎりを作った日。そう言いながら差し出された黄身の醤油漬けの味は衝撃的で、今も鮮明に思い出せる。あまりに奇跡のような美味しさだったために、最後にあぶれた一玉を巡る言い争いはかつてなく熾烈を極めて。こんなことで君達と争う位なら僕は割り切れる数を作るべきだった……!と悲痛に叫ぶ吉田と、今さら後悔しても手遅れなんですよ、ほら……決着をつけましょう?、と泣き笑うように告別を述べる三木と、三つ巴で十番勝負を繰り広げたのだ。
 全員真剣だった。
 結局それは平和的に三等分したのだが、他にもこういった物は沢山あるはずだ、ということで探してみることになったのである。
「メレンゲ、追加したときに余った黄身をまた漬けてるんですよ。今度は唐辛子味噌とごま塩」
「間違いなく美味いじゃないですか……」
「んふふ、結局王道が一番ってなると分かってても、寄り道してみたいよね」
「ミソ……塩……」
 その味を、想像するだけで頬が緩む。
「マタオニギリ作ル会モ、シマショウ」
 この町で目覚めてから、私は確かに欲深くなった。
 先の約束があっても、新たな約束を取り付けたくなるほどに。
「……その合間にダイエットしなきゃなぁ……」
 一層苦味のある笑みを浮かべながら、吉田が腹を擦っている。
「ダイエットモ一緒ニシマショウ」
「良いジム知ってますよ」
「うん、うーん、圧が……お お手柔らかに頼みます……先ずふたりについていくための体力作りが要りそう」
「一緒ニ、頑張リマショウネ」
「否定はしないんだ……」
 項垂れた肩に手を置いた。健康は何物にも代えがたい資産だ。
「コレカラモ沢山食ベル為ニ、沢山運動シマショウ」
「……そうですね」
「楽にできるよう手伝える所は手伝うミキよ」
「ありがとう……って他人事みたいに励ましてくれてるそこ、君もよ」
「ミキサンモ健康ヲシマス」
「いや、俺は別にダイエットなんてそんな」
「ミキサンヨシダサンヨリ不健康ノ時アル」
「そうだそうだ」
「いや、……否定はできないですけど……」
 狼狽える三木に、吉田が笑いかけた。
「健康を、しましょう?ちょっとずつ」
「……まあ、」
 悪いことじゃありませんしね。諦めたように三木が手を上げる。
「クラさんもですよ。たまに抜けてますから」
「何処ガデスカ」
「血を飲み忘れてかっすかすになってる時あるでしょう」
「……ムウ、」
 否めない。
「吉田さんも、睡眠時間割と似たりでしょう、皆で頑張りますか」
「そうかなあ……そうだね、」
 さあさあ。手を叩く音。それなら、今日はこの辺でお開きにするとしますか。明日のために。
 その言葉を合図に、掌を合わせて。

 ごちそうさまでした、と揃った声が部屋に響いた。

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