吉田さんちの魔法のカレー
Siruhi(しるひ)
なにはなくともカレーである。
ご家庭の味、みんな大好きな味。いつどこでお出しされても間違いのない料理。それがカレー。
このように重宝されるカレーであるが、必ずしもハレの日、いわゆる楽しい日のためだけのものではない。
例えば料理に時間をかけたくない、あるいは時間をかけられない、メニューを考える余裕がない。そんなときにお出しされる率が高いのもカレーである。
そんな切ない事情があろうとも、テーブルに出せばみんなが喜んでくれるカレー。まさに、日本の食卓の守護神とも言えるだろう。
時と場所は夕飯どきの便利モブマンション。そのとある一室で行われる便利モブオフ会とは、月に一度か週に一度か、果ては毎日とも言えるタイミングで一緒にご飯を食べるというシンプル極まりない集まりだ。
部屋主の趣味である巨大飯、通称クソデカ料理。見た目は普通で味も美味いがひたすら大量にふるまわれる無限料理など内容は多岐にわたる。
それでも数回に一度、どうしても多忙が理由で定番化されてしまうメニューがあった。それとは。
「ごめんなさい! ちょっと残業しちゃって、準備ができなかったから予定変更して今日はカレーです!」
「やった〜吉田さんのカレー!」
「ヤッタ〜!」
「あれえ!? 喜ばれてる!」
大盛りカレー、続けて超特盛カレーを食卓兼こたつテーブルに並べたところで、いい大人ふたりがバンザイして喜ぶものだから、吉田は戸惑ってしまう。
大盛りカレーは三木、超特盛カレーはクラージィ。それに調理担当の吉田を加えた三人が便利モブオフ会のメンバーだった。
ちなみに吉田のカレーは普通盛りである。
「嬉しいけど、手抜きで申し訳ないなあ。前々回も時間ないって言ってカレーにしちゃったし」
「なに言ってるんですか吉田さん」
「私タチ、ヨシダサンノカレー大好キデス」
「ね〜。なんなら吉田さんちの子になって毎日食べたいくらいです」
「ネ〜」
二人で顔を見合わせて頷く姿はまるで勝手知ったる兄弟のようだ。それを見ていると心がほっこりと温かくなる。
「ありがとうございます。量はあるからたくさん食べてね」
「はい!」
「イタダキマ〜ス」
クラージィのいただきますに合わせて三人で両手を合わせる。しばし食べることに夢中になった。
「あー、やっぱり美味い。今日のカレーも最高です」
「ふふ、ありがとう」
「吸血鬼、タマネギモ食ベレナイコトアル、気ヲツケロト言ワレテマス。デモ、ヨシダサンノカレーノタマネギ、甘クテトロトロ、美味シイ!」
「嬉しいなあ」
「吉田さんは『時間がなくて』って言いますけど、野菜もよく煮込まれてるし、肉も柔らかいし。時短で作ってるにしてはすごく手間がかかってる味ですよね。どうやってるんですか?」
「ん? うーん、そんなに特別なことはしてない……はずですけど」
吉田は顎に手を当てて、体を小さく左右に揺らしながら考えこんだ。そんな自分に三木が「食べて食べて」と声をかけてくれる。
「なんにせよ、それほど時間をかけずにこんなに美味いカレーが作れるなんて。吉田さん魔法使いみたいですね」
「はは……そんな大げさな」
「ヨシダサン魔法使エマスカ? スゴイデス!」
吸血鬼である己のほうがよほど魔法使いのような術が使えそうなものだが、瞳を輝かせて何度も褒めてくれるクラージィを無碍にはできない。吉田は口元を綻ばせた。
「ありがとう二人とも。とっても嬉しいです」
飾り気のない言葉に二人もつられて笑顔になる。その日のカレーは格別に美味しかった気がした。
それから数回の後の便利モブオフ会のこと。
今回は多忙ではなかったものの、必要な材料がスーパーで品切れだったという切ない事情により、代打のカレーに決定した。
「ごめんね、ちゃっちゃと作っちゃいますから」
「手伝いましょうか?」
「ありがとう。でもいいよ、そんなに手間がかかるものでもないし」
三木からの申し出を軽い調子で断ると、吉田はいつものエプロンを身につけて冷蔵庫から食材を取り出す。
そう。特別なことなど何もしていないのだ。
玉ねぎは半分に切り、外側の層の厚い部分を繊維に沿って細切りにする。内側の部分は柔らかいからそれよりは大きめで大丈夫。
火が通りにくいニンジンは、先端の部分は輪切りにして太い部分は半月切り。気持ち薄めに切っても小さく見えないので見た目の満足感がある。
じゃがいもは皮を剥き、半分に切ってからレンジで3分。熱くなった具を竹串でプスプスと刺しておくと煮たとき熱が通りやすくなる。ただし形が崩れるので、半分の大きさでも大きすぎることはない。
肉は豚コマ、あるいは合挽き肉。短時間で肉の脂と旨みがよく出て、味にコクが増す……気がするからだ。今日は豚コマがあったからそれを使う。カレーに使う鍋の中で直接バターで炒め、半生くらいの色になったところで切った野菜をドカドカと入れた。
野菜から水分が出るから、具がぎりぎり浸かる程度の水でも十分な量になる。初めは強火で沸騰したら中火にして、しばし具に火を通す。
頃合いかなと思うところで一旦火を止め、沸騰が収まった鍋にカレールーを砕かず投入し、箸で掴んでぐるぐるかき混ぜる。固形タイプのルーは小さく砕かない方が早く溶けるし、溶けきれないカケラが残ってしまう悲劇も起こらない。
そうやってカレーを作りながら考えるのは、リビングで楽しげに話しながらカレーができるのを待っているだろう二人のことだ。
出会ったきっかけは何だったのか。今となってははっきりと思い出せないのは、きっと親しくなってからの時間が楽しくておかしくて、濃ゆいものだからだろう。
この年齢になってからできた新しい関係が、こんなにも愛しくてかけがけのないものになるとは夢にも思わなかった。だからこそ奇もなくありきたりなカレーに揃って目を輝かせてくれることが、嬉しくてしょうがない。
ルーが溶けてから弱火で少し煮る。ふつふつと小さな泡が底から上がってくるカレーをひと匙、小皿に取って味見した。
「うん、おいし」
火を止めて、お待ちかねの彼らへ声をかける。
「お待たせ。カレーできましたよ!」
こたつに入っていた大人の男ふたりが、一斉に立ち上がる気配がした。
「それじゃあ」
「いただきま〜す!」
三人揃って両手を合わせ、同時に宣言してからカレーをひと掬いする。
「オイシイ!」
「あ〜これこれ、沁みますねえ」
「ちょっと、飲みにきたおじさんじゃないんですから」
「吉田さんのカレーは格別なんですよ。何度でも言いますけど」
「はいはい、何度でもありがとうございます」
「ソウダ。ミキサン」
「あ、そうか。あんまりカレーが美味いから忘れてました」
「ん? 何、どうしたの?」
クラージィと三木が、なにやら自分たちの荷物をごそごそと探っている。吉田はそれを不思議そうに見ていた。
「いやね、今日のメニューは本当ならトルコライスだったじゃないですか」
「ああ……そうですね。とは言ってもみんなトルコライスが何なのかよく知らないんですけど」
クラージィがそれにウンウンとうなずく。
そもそも、今回はクラージィの「トルコライスッテ何デスカ?」という何気ない疑問から始まった。実際、吉田も三木も知らなかった。その結果、『よく分からないからおのおのトルコライスっぽい具材を持ち寄ってなんちゃってトルコライスを作ろう』というゆるゆるなテーマに決まった。
そして、何となくメンチカツでも作ろうかと帰宅途中スーパーに寄ったものの、挽き肉が品切れだったという吉田の都合で延期になったというのが実情だった。
「俺たち普通に具材持ってきてるんで、なんならカレーにトッピングしてもかまいませんか?」
「それはもちろん大歓迎だよ! 二人とも何を持ってきたんですか?」
「俺はハンバーグ。バイト先の調理場で作らせてもらいました」
「わあ、美味しそう」
三木がタッパーのフタを開けると、大・中・中の大きさのハンバーグがみっつ並んでいた。
「この一番でかいのは」
「もちろんクラさんです」
「アリガトウゴザイマス、ミキサン!」
「どういたしまして。クラさんは何を?」
どことなく得意げにタッパーを差し出して、フタを開けるクラージィ。中にはびっしりとタコさんウインナーが詰まっていた。
「うおっ」
「すごい数!」
「私モ、猫カフェノ店長ニ教エテモラッテ可愛イウインナー作リマシタ!」
「すごいじゃないですか。……ちなみに、店長さんはトルコライス知ってました?」
「知リマセンデシタ」
「それは残念」
トルコライスの正体は謎に包まれたままとなったが、三木とクラージィのタッパーをこたつテーブルの中央に置き、それぞれの具をカレーの上に乗せて楽しんだ。
吉田はさっそく、スプーンでも切れるほどふっくらと焼かれたハンバーグを頬張る。
「うん。三木さんのハンバーグ、柔らかくてジューシーでとっても美味しいです」
「ありがとうございます。俺はクラさんのタコさんをこう乗せて……ほら、カレーの上でみんなでピクニックしてるみたいに」
「タコサンタチ楽シソウデス!」
「それを全員いただきます」
「アーーーーーッ!!」
「もう、三木さんってば」
笑いながら、美味しいごはんを食べながら、あっという間に時間は過ぎる。三人で手分けする後片付けすら楽しいのは、なんて幸福なことだろうか。
オフ会がお開きになり二人を玄関で見送る際にも、吉田は心の中でありがとうと呟いた。
終