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【えん】成るもの

犬丸 

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 レモンサワー一本分のアルコールが入った程度、このぐらいのほろ酔い気分でのネットサーフィンは危険だ。
 好きなゲーム実況の配信を横目に、吉田は鼻歌交じりでマウスに置いた人差し指でクリックしかけては止めてを、もう何度か繰り返している。
 これで血迷って、「おっとうっかり」してしまえば、諦めもつくのかもしれないが、即座によぎる収納のキャパシティーが、吉田をいつも冷静にする。
 どこに置くつもりだ、コレ。
 40センチオーバー(10人前用)のパエリア鍋なんて。
 米料理をあまり食べたことがないという隣人、クラージィがパエリアに興味を示したから、それじゃあ今度、休みが合う時に作りましょうか。となった。
 どうせなら、本格的にやりたくなってしまうのは吉田の【性】だ。
「本場のパエリア鍋で作るパエリアは格別だ」との謳い文句が、商品ページで躍っている。
 置けなくはない。パエリア鍋は普通のフライパンと比較すれば薄いし、長い取っ手もないし、置けなくはないだろうが、しかし毎日使うものでなし、最終的には邪魔になるだろうという己の判断力を吉田は褒めたい。
 だいたい吉田が住まうマンションは、リノベーションはされているが、どうやったところで古い間取りなのだ。なにしろ圧倒的に収納が少ない。頻度がある片手鍋や一般的なフライパンなら出しっぱなしでも「どうせ、しまっても」となるが、しまう場所の目算が立てにくい時点でコレはダメだと直感する。出す度にしまう手間を考える器具は、やがて出さなくなる。これは経験値でもある。
 あともう少しなんとか……そんな不満があるのなら引っ越せばいい、という話ではない。ペット可、家賃、立地、そして、なにより隣人たちに申し分がなさ過ぎて、鍋の一つや二つ増やせない収納程度の不満は、目をつぶって余りある。
 このマンションよりいいところなんて、あるのか、いやない。
 考えるでもなく、専用のキッチンツールなんて、気になるもの全部買っていたらキリがないのだ。よほど特殊な、たこ焼きみたいな形状ならいざ知らず、専用に頼らなくても、やりようはいくらでもあるわけで、ここで必要になるのは、創意工夫であり、手持ちでの遣り繰りである。
 フライパンやホットプレートでも、パエリアは美味しく出来る。以前、三木に振る舞った時もホットプレートだった。
 数あるレシピからニンニクを使わないレシピを精査し、パエリア鍋の代わりに、吉田は米を買うことにした。

 


「で、こちらが、その米になります」
 吉田が、テーブルに置いた米袋の重量は900グラム。
 三木が「米って、グラム単位でも買えるんですね」と言いつつ、米袋を手に取る。
「あれ、米炊く時って、ええと何合ですよね?」
 ということは? 三木の疑問が読み取れて、吉田は「1合は約150グラムって言いますよね」と返した。
 つまり、900グラムでは約6合という計算になる。
 一回で使い切るつもりなら、このくらいで良いだろうという計算だ。
 三木が手に持つ米袋を覗きこんだクラージィが首を傾げた。
「わ、み……リゾット?」
 袋に記された文字をそのまま読んだらしい。袋には【和みリゾット】、とある。
 ひらがな、カタカナ、漢字とクラージィもよく学んでいるが、読みについてはまだむつかしいものがあるらしい。
 訓読み音読みなんて、ネイティブでも時々わけがわからなくなる。
「ああ、【なごみ】ですね」
 吉田が訂正すると、クラージィは「送リ仮名、マダマダですネ」と顔を引き締めた。このぐらいの間違いなんて気にしなくてもいいのに、基本的に真面目なタチだから、「ナゴミ、ナゴミ」と彼は呪文みたいに口の中で繰り返している。
 この米は品名に【リゾット】とあるように、リゾットやパエリアに向く種類の米なのだとか。
 日本の一般的な米は粘りが強く、良く言えばもちもちしているが、スープで炊く料理ではその粘りがべちょっとして食感を悪くする。炊飯器で炊いて、ご飯として食べる分には日本の米がいいのだろう。だが、きょうはパエリアだ。出来るだけ、本格的にしたい欲が強かった。
 日本に数多の品種、ブランド米があるように、イタリアにはリゾット向きの米があるし、スペインにもパエリアに適した米がある。ネットで調べると出てくる品種を買うつもりだったが、輸入食材を多く扱う店で店員に勧められたのがコレだった。
 スペインのバレンシア米やイタリアのカルナローリ米と比べると、半分くらいの価格だし、味わいも遜色ないそうだ。1キロ弱の米の値段なら、そこまで影響はない。とはいえ、実際の価格を見てしまうと、ちょっとは躊躇いが出る。輸入米に比べれば安いというだけで、コレだって普段、吉田が食べている米の倍はするわけで。
 美味しくしたいが、ここまでちゃんとしたパエリアは初めてだし、失敗したくない。
 半分くらいは、見栄と言うには小規模なかっこうつけだという自覚が吉田にはある。
 そうして、この隣人たちは、たぶん、そんな吉田の心境も理解しているのだろう。
 三木はすぐに「金なら出しますよ」と言い出すし、失敗しようが不出来だろうが、クラージィは気にせずに食べてしまう。
 やたらと太い生春巻きや、ホットプレートいっぱいのお好み焼きなんかを喜んで一緒になってはしゃいで作って食べる隣人なんて、今更、どこを探せば見つかるか。
 見つからないよなぁ、ここ以外じゃ。
 米の品種であれこれ話していたふたりの視線が、米袋から吉田へと向いた。
「それじゃあ、始めましょうか」

 食品メーカーのサイトにあるホットプレートで作るパエリアのレシピに従って、作業を進めていく。
 エビ、イカ、魚介の処理は三木に、パプリカやピーマンなどの野菜はクラージィが受け持つ。お湯にコンソメとサフランを入れておきつつ、吉田は玉ねぎをみじん切り、鶏肉を一口大に切る。
 材料の準備が出来たら、ホットプレートにオリーブオイルを引いてよく熱し、玉ねぎ、鶏肉の順に炒めていく。鶏肉にある程度火が通ったら、袋から出した米を計量し、そのままホットプレートにざらっと投入する。
 クラージィが、「お米、研がないデスか」と訊いてきた。
 米は洗うではなく、研ぐのだと教えてから、彼はその言葉を大切に使っている。
「パエリアの場合は、研がなくていいみたいですね」
 わきからレシピを読んでいた三木が言った。
 日本では米は単体で主食になることが多いから、どうしても糠の匂いが気になる、だから研ぐことが当たり前だ。もっとも最近は無洗米もあるし、精米技術も上がっているから、そこまで強く研ぐ必要はない。
 パエリアはどうかというと、旨味がきいたスープをたっぷり吸わせるため、糠の匂いは気にならず、むしろスープ以外の余分な水気を入れないよう研がない方がいい。どうしても研ぎたい場合は軽くで、すぐに水を切って乾かすくらいがいいらしい。
「水っぽくならないためにね」
 鶏肉などと米を炒め、米が透き通ってきたら、そこにコンソメとサフランを溶いたお湯を注ぎ、塩、コショウなどの調味料を加える。木べらでまんべんなくかき混ぜ、5分ほど経ったら、残りの野菜、魚介をきれいに並べる。あとはフタをして、まず高温で15分、更に低温で10分加熱して、最後に5分保温すれば出来上がり、とある。
 ホットプレートの上でくつくつとスープが煮立ち、サフランで染められた米の色が鮮やかだ。
 なにより、
「いやぁ、これ、匂いがすでにヤバいですね」
 口元をほころばせ、三木が唸るように言った。ホットプレートを覗きこんでいた吉田もクラージィも大きく頷く。
 徐々に水分が蒸発し、スープが色濃く煮詰まっていく。ふわりと立ちのぼる湯気がすでに美味しいのだ。旨味が全部混じった香りがたまらない。
 固形のコンソメにスーパーで売っている冷凍の魚介、特価の野菜でもこれだけ美味そうなのだから、専門だとか本場だったらもっと大変な事になるんじゃないか。
 空腹は最高の調味料なんて言うけれど、目の前にごちそうを置かれての待機はなかなか辛いものだ。
 本場とまでは行かないが、ふたりが来る前に作っておいた冷蔵庫のピンチョスをホットプレートの周りに並べていく。
 バケットの上にツナやオリーブ、ポテトサラダなんかを盛っただけだが、なかなかの彩だ。
「おおー」
 クラージィと三木が同時に歓声を上げる。すかさずスマホを取り出して、パシャパシャと写真に収めていく。
 自分でも撮ってみたが、なかなかの見映えだ。
 クラージィが、「映えデスネ!」と知ったばかりの言葉を口走る。三木も「これは映えですよ」と続く。
 見せてもらった三木の写真はまるでどこかのレストランみたいだ。おしゃれそうな撮り方はバイトのどれかで覚えたそうだ。
 なるほど、見せ方だと思うが、唯一、現実的なのがホットプレートと言うところだろうか。
「これがパエリア鍋だったら、もっとオシャレなんでしょうけどねぇ」
 見た目だけの話じゃなし、これが本場のパエリア鍋なら、もっとすごいものが出来たのかもしれないと欲が出る。
 いや、しかし。あれはねぇ。直前まで買いかけて、やっぱり止めたことを吉田はなんとなく口にした。
「鍋、デスカ」
 こんな物があるのかとクラージィが呟き、
「パエリア鍋ねぇ……」
 三木は、さっそくスマホで検索をかけたらしい。
「へぇ、」
 ため息みたいにもらした三木に、吉田は「置き場所がないからね」と先回りで釘を刺す。
 買います? 買っちゃいます? 俺、金出しますよ。と三木が前のめりに言ってしまう前にだ。
「置き場……」
 ポカンとした三木と、「ダメデス、ッテ」と三木を伺うクラージィを交互に見て、吉田は苦笑いで言った。
「それにね、これ、あと使うなんて、キャンプとかBBQくらい」
 三木の頬が、ちょっとだけ引きつる。三木は、BBQに何らかのトラウマがあるらしい。
「使える場面が限られる専門道具より、何でも行ける万能機のが、ね」
 ね? 念を押すと、三木はぐうと小さく息を吐く。
「ヨシダさん、一本!」
 パッと手を挙げ、クラージィが楽しげに言った。どこでそういうこと、覚えるんだか。
 そうこうしている間に、タイマーがあと30秒だと告げている。
 ガラスの蓋の向こうは、湯気ですっかり曇っているが、中には素晴らしい光景が広がる。
 吉田がフタに手をかけると三木とクラージィが、再びスマホを構えた。
「いいですか、それじゃあ」
 10秒前からのカウントダウン、もう待ちきれない。


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