みんなのたのしみ
秋月
本日の便利モブオフ会メニュー。巨大オムライス(大失敗)
「……」
「……」
三木と吉田は眉間に深い深い皺を刻み、盛り付けが終わった皿を見下ろしながらキッチンに立ち尽くした。事情を知らない他人が見ればそれは洋食店の廃棄にすら見えたかもしれない。大皿に山盛りになった米五合分のチキンライスに、グシャグシャに破れ型崩れ見るも無惨な形の卵六個を使った焦げた薄焼き玉子がへばりついているという有様だったからだ。卵は二個ずつフライパンに割って薄焼きにしようとした。だが大きなフライパンいっぱいの薄焼き玉子なぞ素人がきれいに作れるはずもなく、少しタイミングを誤って焦げ始め、慌ててフライパンから剥がそうとすれば菜箸を使ったのが悪かったのか穴が空き、大急ぎでフライ返しを用意している間に焦げはどんどん酷くなっていく。
結局焼いた三枚すべて大きく破れ穴が空き端がよれまだらな焦げ目がつき火を入れすぎて固くなり、見るからに美味しくなさそうな仕上がり。それをなんとかオムライスの形にしようとチキンライスにかぶせたが米に対して明らかに玉子が足りず、巨大なお椀型に盛った下のほうは寸足らずで赤い米が丸見えになっている。多すぎる米に出来損ないの玉子。この量的なアンバランスさがみすぼらしさを一層冗長していた。最後の悪あがきでジグザグにかけたケチャップごときでは到底ごまかせる出来ではない。
どんなに贔屓目に見てもこれをオムライスと呼ぶのは憚られる。チキンライスの焦げ玉子焼き乗せだ。大きくやぶけた玉子から覗く赤色がどうしようもなく情けない。あまりの酷さに三木の喉から乾いた小さな笑いが出た。
「コレガ、オムライス……」
「いや、違います」
「これはちょっとさすがにオムライスとはいえないかなあ」
二人の渋すぎる顔つきになにかを察したクラージィは眉を下げる。
今回のメニューがオムライスになった発端は前回の便利モブオフ会だ。三木が福引で当てたホットプレートで吉田の関西人的熱烈指導が入ったお好み焼きを食べながら見ていたテレビに、オムライスが映っていた。どの角度から見ても完璧に美しい優しい黄色をした楕円型のつやつや玉子にたっぷりとかかった真っ赤なトマトソース。スプーンで真ん中を割くと中からホカホカ湯気が立つ赤い米とごろっと大ぶりの鶏肉が皿へこぼれ落ちてくる。そういえばオムライスなんて久しく食べてないな、と思いながらテレビを見ていた三木の横でクラージィが目をキラキラ輝かせていた。
「コレハナントイウ食ベ物デスカ?」
「オムライスですね。あ、クラさんもしかして食べたことない?」
「ナイデス。中カラオ米? 出テクルシマスカ? オ米ナンデ赤イデスカ?」
「外側の黄色いのは薄く焼いた玉子です。ケチャップで味付けした赤いご飯を玉子で包んだ料理をオムライスと呼びます」
「オオ……!」
中から米が出てくる絵面がクラージィの興味をいたく引いたらしく、芸能人が一口食べて大げさで面白くもないギャグを飛ばしているさまを彼は真剣に見つめていた。その横で三木と吉田はスッと自身のスマホを取り出し画像検索をはじめる。
「僕がイメージするオムライスって薄焼き玉子で包んだ……今見たやつですけど、半熟オムレツをご飯に乗っけるタイプもありますよね。割るとトローって玉子があふれるやつ」
「たんぽぽオムライスって呼ばれるヤツですね……オムライス、意外と難しいんだよなあ」
一般家庭でも作られる比較的ポピュラーな洋食ではあるが、きれいなものを作ろうとするとなかなか難しい。特に卵は火入れの具合やタイミングが難しく、三木が出入りする仕事先でも卵料理を担当するのは料理をしっかりと学んだ者だけで、三木も作ったことはない。更にこのメンバーで作るオムライスとなれば、巨大化は必然である。
「オムライス、作ル難シイデスカ?」
「作りましょう!」
「早っ」
難色を示した三木を見て耳を下げたクラージィに三木は間髪入れず返答する。そのあまりの切り替えの早さに吉田は半笑いでツッコミを入れたが一方で大きなオムライスってロマンあるよねーなどと続けるあたり、やる気は満々だった。
そうして満を持して今夜開催のはこびとなった巨大オムライスを作るオフ会だったが、出来上がったものはオムライスとは似ても似つかないというか明らかに別の食べ物だった。
米五合でひたすらに重い大皿と冷蔵庫から出したアルコールを食卓に並べた三人は皿に盛られた赤い米の山とぐちゃぐちゃの玉子を改めて見つめる。せっかく大きなオムライスを心待ちにして、ケチャップと米を鼻歌でも歌いださんばかりに楽しげに混ぜ炒めていたクラージィを失望させてしまったと思うと三木は胃がひっくり返りそうな気分になる。三匹の吉田の飼い猫の視線すら刺さる気がする。しかし冷や汗さえ出てきそうな三木の向かい側で、吉田が大笑いをはじめた。
「いやー、見れば見るほど酷いですねこれ! 近年稀に見る大失敗です」
「失敗デスカ」
「失敗です。それにしてもここまで酷いの久しぶりだな。写真撮っておこう」
手にしたスマートフォンで角度を変えながら何枚も写真を撮る吉田の表情は嬉々としていて、強がりでも負け惜しみでもなく、本当に目の前の大失敗作を楽しんでいるようだ。クラージィまでもがつられて写真を撮りはじめ、三木はその様子を呆然と見つめた。
「あー、笑った笑った。オムライス甘く見てました。三木さんが言ったとおり難しかった」
一通り写真を撮り終え満足した吉田が座り直して発泡酒のプルタブを起こす。それにつられて三木も缶チューハイを手に取った。
「では、見事に失敗したオムライスにかんぱーい」
「カンパーイ」
「かんぱい……」
乾杯でいいのか? と思うと発声も小さくなる。これではオムライスオフ会は成立していない。今からでも出前を頼んでまともなオムライスをこの場に召喚すべきなのでは、と焦燥感にチリチリと身を焼かれ始めた三木の顔をクラージィが心配そうに覗き込む。
「三木サンオ腹痛イ? オムライス少シニシテオク?」
「あ、そういうわけでは……いや多いな」
少しにしておくか? と尋ねながらクラージィは三木の取皿に茶碗山盛りいっぱいではすまない量のチキンライスと玉子の切れ端を盛ってドンと目の前に置いた。
「クラさん、俺が失敗したせいでこれは明らかにオムライスとはいえない料理になってしまったので……」
「玉子失敗したのは僕も一緒ですよ~」
「……えーっと、とにかくですね。ちゃんとしたオムライスを食べてもらいたいので出前を注文しようかなあと」
「コノオムライスドウシマスカ?」
「それは俺が持ち帰って後でいただくんで……」
「三木サン独リ占メデスネ!」
「いやいや! そういうことじゃなくて……!」
「デハイタダキマス!」
「いただきまーす」
なぜだか話が思うように運ばない。喋るほどに墓穴を掘っている気がしてならない。まだ酒が回ったわけではないはずなのにどういうことだ、と三木は頭を抱えそうになる。
「三木サン。コレ、テレビデ見タオムライスト違イマス。吉田サンモ三木サンモ玉子焦ゲルシマシタ。穴モアル」
「本当に申し訳ない……!」
「私ガ炒メルシマシタ。吉田サント三木サンガ玉子焼クシマシタ。ミンナデ作ッタ。トテモイイモノデス。オイシイデス」
「……」
「いや~今回は失敗ですねえ。それにしてもこの玉子は我ながら酷いなあ」
吉田は玉子の真っ黒に焦げ、ほぼ炭と化した部分を大皿の端に避けながら笑う。
「僕もね、自分一人でオムライス食べたいと思って作って、この出来だったらなにやってるんだろってものすごく落ち込むと思うんです。でも、みんなでやってみんなで失敗したって思ったら、それもみんなの思い出になりません?」
「……」
どうだ言い返してみろと言わんばかりの、口の端を上げる挑発的な笑みを三木に向けて吉田は発泡酒を飲む。自分一人の失敗であればいくらでも自分を責めなじることができるのに、このぐちゃぐちゃに不格好なオムライスを唾棄することはともに作った二人を否定することになる。それを持ち出してくるのは、ズルい。どうにも最近、吉田に己の弱いところを把握されている気がしてならない。
「まあクラさんは失敗してないんですけどね」
「炒メル上手クデキマシタ!」
「米五合炒めるなんて僕がやったら腱鞘炎になっちゃいますよ」
「?」
「腕が痛くなっちゃいます」
「腕痛イナイデス。モット炒メルデキマス」
「頼もしいなあ」
米の山を崩して自分の取皿によそいながら、吉田は再度三木に視線を向けた。
「お? まだ納得いってませんね」
「納得いってないというか、吉田さんが言いたいこともわかるんですけど……クラさんの期待を裏切ってしまったことに変わりはないんで」
「ワタシ?」
「オムライス……楽しみにしていたでしょう」
そう、一緒に買い出しに行った三木は知っていた。クラージィがオムライスを殊更楽しみにしていたことを。
便利モブオフ会で食べる料理のメニューはほとんどの場合吉田が決める。会場を提供してくれる家主の好みを優先させるのが当然だと思うし、三人で料理を作って食べるこの会の発端が吉田の「大きな料理が作りたい」という思いだったからということもある。そこに全く異議はない。だいたいどんな料理でもクラージィにとっては未知のもので、彼がそれらを驚き感心し心から楽しんでいることも知っている。だが、今回のオムライスはクラージィが発案なのだ。彼がテレビで見て、興味を示し、食べたいと望んだ料理だったのだ。その望みを叶えてやることができなかった罪悪感と無力感で喉が詰まった三木のスプーンはいただきますの唱和以降ほとんど進んでおらず酒ばかりが減っている。
クラージィは口いっぱいに頬張ったケチャップライスを律儀に全部飲み込んだ後、胸の前でグッと力強く拳を握った。
「ソウデスネ。オムライストテモ興味深イデス。玉子カラオ米見テミタイ。ダカラモウ一回チャレンジデス! 次ノ便利モブオフ会メニュー決定デス!」
「……え?」
「ミンナデ玉子焼ク練習シマショウ」
「いいですね。クラさんも焼きましょう」
「焼キマス」
「言っておきますけどメチャクチャ難しいですからね! あの三木さんが苦戦するんだから」
「三木サンニ勝チマス!」
「薄焼き玉子対決か~楽しみになってきましたねえ。卵の量ももっと多くしないとな」
楽しみだと笑い合う吉田とクラージィの横で三木は急にいたたまれない気持ちになって、むやみに座り姿勢を直して缶を呷る。三人で同じものを見ていたはずなのに一人だけ違う方向を見ていた。失敗を笑い飛ばしてくれる二人は自分よりよほど大人だ。
「……僕、昔から巨大料理作ってたんですけど、その時も当時の仲いいヤツらと一緒に作ってたんです。最初はただデカい料理作ったら面白いんじゃない? っていう、まあ若気の至りというか、その場の悪ノリみたいなもので」
吉田の前に発泡酒の空き缶が二本並んだ頃、彼は不意にそんなことを言い出した。
「でも途中で気づいたんですけど、別に巨大じゃなくても楽しいんですよ。じゃあなんだっていうと多分、できた食べ物のインパクトがどうこうっていうよりは、みんなで作ってみんなで食べるってことが楽しかったんじゃないかなって。料理を大きくするのはあくまでちょっとしたスパイスというか」
ちょっと? いやかなり? と首をひねる吉田の顔は赤く、黙って続きを待つ三木の顔も充分に赤い。
「自分一人の食事作るときは、自分が食べたいものとか、冷蔵庫のあれ消費しなくちゃ、とか考えるでしょ。でも誰かと食べる料理を作るってなったら、これなら喜んでくれるかなとか、どんな反応するかなとか、そんなこと考えながら作って、実際に反応見て、そういうのが楽しいんじゃないかなって。格好良く言うと食べる人の顔を思うってやつかな」
これ、お酒抜けた後恥ずかしくなるやつだな、とモゴモゴ言いながら吉田は小さく笑う。
「今回は失敗しちゃいましたけど、それも楽しいなって思うんです。だっていつもの自炊で失敗するような料理作らないから。みんなで食べようってなるから普段作らない料理に挑戦するわけで。こうやってみんなでワイワイ作って、食べてってできるのすごく楽しいんです。十何年ぶりの楽しい気持ちになれてるのも二人のおかげなわけで、ありがとうございます」
楽しい、か。半分以上食べ進められ、崩れ、玉子が率先して取り分けられたせいでもはやケチャップライスをただ雑に盛っただけになった大皿を三木は見つめる。もしこのケチャップで汚れた皿が勤め先のレストランのテーブルに置いてあったとして、どう転んでもいい気分にはならない。しかしこの食卓に置かれていれば「もうこんなに食べたのか」「値段に臆して胸肉にしないで正解だった」「玉子と米の消費バランスが悪すぎる」と、いくらでも楽しい会話のきっかけになりうる。
なにを食べるかより誰と食べるか。そんな、どこかで聞いたことあるような言葉が頭の隅をよぎった。
「……俺、ゆっくり食べられるようになったんですよ」
アルコールで随分口と頬がゆるくなった三木はポツリと呟く。
「前は飲むように食べてましたからね」
「三木サン食ベルスゴイ速カッタ」
「食う時間って無駄だって思ってたんですよ。そんな時間あったら働きたいって思ってました」
ああ、と吉田がどこか納得した顔で頷く。
「はじめてみんなでご飯食べに行ったとき、びっくりしましたよ。僕と同じ定食食べてるのに僕の倍のスピードで食べてましたよね」
「日本人時間ニ追ワレテル思イマシタ」
「三木さんのスピードを日本人標準と思われるとかなり困ります」
「だいぶゆっくり食べられるようになったと思うんです」
三木は自分の取皿に半分残ったままのケチャップライスを見下ろした。皿の上に食べ物が載ったまま喋っているなんて、少し前の自分では考えられない。飯なんて早く食って、少しでも長く働きたい。
「……もったいないな、って思えるようになりました。二人と一緒に食べる時間なのに、俺だけさっさと終わらせるの、もったいないなって。それに、食べ終わったらこの時間が終わっちゃうのか、って思うようになっちゃって……」
普段は口が裂けても言えそうにない湿っぽいことを言っている。先程まで頭の中をぐるぐる駆け巡っていた罪悪感と焦燥感が二人の笑顔のお陰でどこかへ行ってしまったせいで気が抜けたのかもしれない。もしくはいつもより幾分早いペースのアルコールで酔ったのか、はたまた、場の空気が彼を酔わせたのか。
パズルのように時間の隙間を埋めて詰め込む楽しい仕事の合間をこじ開けて三木は毎回この集まりに参加しているのだ。好きな、楽しい仕事を押し除けてでもこの場にいたいと三木は思っている。行きすぎた仕事人間である三木にとって仕事よりも優先するものは、ほとんどない。
三木の独白のような言葉を茶化すでもなく、フフッと吉田が笑う。
「思い返せば……クラさんは最初はなにを見ても恐る恐るでしたけど、今ではすっかりなんでも食べるようになって」
食べ始めから一向に落ちないペースでもりもりとケチャップライスを口に頬張っていたクラージィが、お行儀よく口の中を空にして笑う。
「コノ街ノ食ベ物、見タコトナイモノバカリデシタ。驚クモノタクサンデシタ」
「ゴボウのこと木の根だって言ってましたもんね」
「デモ今ハ違イマス。キンピラ美味シイデス。ミンナ美味シイワカリマシタ。食ベルモノガタクサンアル。トテモアリガタイ。ナニヲ食ベヨウカ悩ム楽シイデス。ナンデモ全部食ベマス」
「それはちょっと……」
「食べると一晩中リンボーダンスを踊り続けることになるクッキーを配り歩くポンチがいたりするので警戒してほしいところです」
「毒モ食ラワバデス」
「違う違う」
「ダメです」
間違った言葉の使いかただけならまだしもクラージィは本当に差し出されたものをなんでもありがたがって食べかねない。知らない人から食べ物をもらってはいけませんなどと子供に対するような忠告を大の大人に対してするのは侮っているようで申し訳ない気持ちもあるのだが、とにかく心配だ。なにせここは新横浜。なにが起きても不思議ではない街。
「食ベルモノタクサン種類アル。楽シイデス。食ベル楽シイ。作ルモ楽シイ。私ハ昔ハ料理シマセンデシタ。吉田サント三木サン作ル見ルシマシタ。私モ作ルシタクナルナリマシタ」
「楽しいですよねえ」
「ミンナデ作ル楽シイデス。トッテモ。ミンナデ食ベルモ楽シイ」
ヘラっと笑う吉田につられてクラージィもフニャリと笑う。ケチャップで一回り赤くなった唇が作る笑みは傍から見れば下手な化粧をしているようでとても滑稽だったが、その笑顔を見た三木の胸は無性に熱くなった。込み上げてきたなにかが目からあふれてしまうのをごまかすために慌てて缶チューハイを呷り、大きくはなをすする。
「じゃあ、次のオフ会はオムライスリベンジということで」
「あ、実はその次のメニューももう決めていて」
「え? なんですか?」
三木が尋ねると吉田は待ってましたと言わんばかりに身を乗り出し、フフフと怪しい笑みを浮かべた。
「ロシアンたこ焼きしようかなって」
ニヤリと悪童の笑み作る吉田の眼鏡がキラリと光った。ような気がした。
「今までのいい話全部ぶち壊しですね!?」
作る楽しみだとか食べる楽しみだとかって話はどこの亜空間へいった?
「タコパ?」
「この前やったタコパよりもっと楽しいタコパです。いやあ、食べる楽しみを、ね」
「楽しみの種類が悪いほうに違いますねえ!?」
「そろそろクラさんに闇の日本文化も教えようかなって」
「オモシロイコトデスカ?」
「とってもオモシロイですよ~」
「吉田サン悪イ人ノ顔シテマス」
「だって、ロシアンたこ焼きみたいな馬鹿な遊びなんて、気心知れた仲じゃなきゃできませんよ」
吉田はそんなことを言って悪人の笑みから一転、照れくさそうに笑った。
「それはそうかもしれませんけど……」
しかしクラージィにしょうもない日本文化(?)を教えていいものだろうか、食べ物で遊ぶのはどうなんだと三木は頭を抱える。一方で、この集まりを気心知れた仲と称した吉田の気持ちは純粋に嬉しかったし、ワクワクする気持ちを抑えられない自分もいる。
昔、仕事をしていたカラオケ店でパーティーメニューとしてロシアンたこ焼きがあった。注文するのは大体が酒に酔った学生のグループか若い社会人たちで、ゲラゲラと笑いながらかけてくるテンションの高いオーダーの電話を冷めた気持ちで受けていた。注文の品を部屋に持っていけば決まって歓声とともに大歓迎されたが、はしゃぐさまを羨ましいと思ったことはない。自分とは一切関係のない世界だと割り切っていて、絶対に手が届かないきらびやかなものなんておとぎ話と同じだった。いや、そもそもきらびやかだとすら思っていなかった。なにがそんなに楽しいのか、と斜に構えていた。
まさか、自分がそれをやる側になるなんて。立場がグルリと逆転したような、袖の暗がりから冷めた目で眺めていたスポットライトが当たる舞台に、見えざる手に背をどつかれいつの間にか上がっていたような気分だ。いけないいけない。と三木は首を振る。自分はモブだ。勘違いをするな。
でも、うん、楽しい。ワクワクしている。心がはやる自分を認めざるを得ない。あの頃少し馬鹿にしていた学生と若者たちに心の中でちょっぴり謝った。
ハズレを引いた二人はどんなリアクションをしてくれるだろう。と考えるとニヤけてしまいそうになって口元がムズムズする。こういう妄想をするとき、自分だけを安全圏に置くのは人間のサガだ。己がハズレを引くことなんて微塵も考えはしない。
見た目はなんの違いもないたこ焼きたちを前にして、ドキドキしながら思考に思考を重ねて一つを選び、口に運ぶ。噛み締めた瞬間は天国か地獄か。浮かべるのは笑顔か、苦悶か。見守る側はただニヤけながら数秒後の結末に心躍らせていればいい。その後みんなで大笑いするのだ。
ああ、それはすごく楽しいだろうなあ。ハズレを引いて悪態をつくのだってきっと楽しい。想像するだけでとても楽しみで、自然と笑みがこぼれてしまう。
「ちなみにワサビは焼いた後、底に切れ目入れて注入したほうが熱で辛さが飛ぶのを防げるので攻撃力増すミキよ~」
「ワサビ?」
「うわっ三木さんから極悪豆知識が出た!」
三木はフッフッフッと悪い笑みを浮かべながら、自分一人では決して食べようと思わないであろうオムライスを口いっぱい頬張った。