top of page
sozai_image_196073.jpeg

 

 導きの光

青 

​ 

 三木カナエは自他ともに認めるワーカーホリックである。

 つい最近まで様々な事情があって、自らの心の健康が多大に損なわれるくらいありとあらゆる仕事をかけもちしていた。しかし、それもある時期を境に少し減らした。元々嫌な事を無理してやっていた訳ではないのだが、なんというか、色々あったのである。それはそれは、色々。
 繰り返すが仕事が嫌いになった訳ではない。働いていると自分が誰かに必要とされている気がして楽しかったし、稼いだお金はそれなりに使い道もある。大抵は自分の為に、ではないけれど。
 そういう訳で彼は頭に超ド級がつくワーカーホリックから、普通のワーカーホリック程度に落ち着いた。その夜は仕事先から帰宅して、マンションの自室の鍵を回す所だった。夜ではあるが深夜でもない。夕食がまだだったので、どうしようかとぼんやり考えていた。外で食べて来れば良かったかなと思いつつ、静かに扉を開けようとした時、二軒先の隣の扉がなんとなく目に入った。
 開いている。全開である。
 ――不用心な。
 隣の隣は顔見知りだった。そのひとが、彼の働くスーパーに客として訪れた事が最初のきっかけだ。異邦人であるそのひとは言葉は多少通じるものの、読み書きがまだ覚束無かった。何度か商品の説明をするうち顔を憶えたのだが、まさか同じマンションに住んでいるとは、エントランスで鉢合わせるまで夢にも思わなかった。その頃は彼も家には寝に帰るくらいなもので、偶然すれ違うような機会が無かったのだと思われる。
 とはいえ、その程度だ。
(あのひと、寒がりなのに……)
 頑固な冷え性持ちだと話してくれた事がある。外の冷たい風が入るのはいかにも良くないような気がして、静かに扉へ近付いた。
「クラージィさ……んんん!?」
 そしてそっと中を覗き込んで、彼はその長い脚でたたらを踏んだ。
 玄関に、ひとが倒れている。
 頭から前のめりに倒れ込んだらしい。靴も脱ぎかけのまま、傍らには買い物袋が落ちており、白い人工血液のパックが顔を覗かせている。
「エエッ……ちょっ……」
 これは、いくら何でもまずいのではなかろうか。まさか扉を閉めて自室に帰る訳にもいかず、彼はともかくそのひとの肩に触れた。
「だ、大丈夫ですか!ねぇ!」
 一体どういう事なのか。彼の声に反応したのか、微かに息を漏らすのが聴こえた。
 目を開ける様子はない。このひとは吸血鬼だ。彼ら夜の申し子は人間の病気などとは無縁だというが、しかし、それにしたって顔色が悪すぎる。
 多少動かしても大丈夫そうではあったので、靴を脱がせ背中に担いで、どうにか寒々しい玄関先から中へと運んだ。
「どうすりゃいいんだ……」
 人間ならまずは救急車だが、この場合VRCか。
 ある程度規則正しく息はしているし、塵になりそうな部位もない。だが原因が判らない以上、放ったらかしにしておく訳にはいかない。祖母が倒れた時を思い出して、彼は心臓の辺りが強張るような気分になる。電話しようとコートのポケットから端末を取り出したその時、仰向けに寝かせたそのひとが、何事か呻いた。
 外国語だ。流石にうわ言は母国語だとみえる。不明瞭なのもあって、よく聞き取れない。
 けれどもそれとほぼ同時に、盛大に鳴った腹の音に、彼は呆気にとられて口を開けた。

「え……そういう事?」

 

 まさか、買い物の為にスーパーにちょくちょく現れていたとなれば、倒れるほど食べるものが手に入らないという事は無いはずだ。仕事もあると聞いている。
 いや、細かい話は詮索しても仕方あるまい。原因が判明したとなれば、後は――
「あー……」
 彼はしかし考えあぐねて、一旦部屋を飛び出した。そして、隣の呼び鈴を押す。
「はいはい……あれ、三木さん?どうしました?」
 隣人は思った通り在宅であった。眼鏡をかけたひとの良さそうなその顔を見て、彼は安堵の溜息を吐く。
「吉田さん、あの……あのですね……えーとこう、パパッと速攻で作れてお腹一杯になりやすいものって、何が、ありますかね……」
「うん?」

 吉田輝和はごく一般的なサラリーマンである。

 仕事は忙しい。今ひとつ扱い難い部下の事やら、日々やたら巻き込まれる吸血鬼絡みの事件やら、悩みは尽きないものの何とか毎日を暮らしている。尤も吸血鬼絡みはこの街で暮らしていれば至極よくある事で、お陰でこのマンションには補助金が出て有難い面もある。
 そんな中でも長年続けている趣味は料理だが、近頃は年齢が年齢なので、若い頃より格段に量が食べられなくなってきた。以前は少々作りすぎても、勢いで全部食べきれたものだが、年々そうもいかなくなってきたのだ。自慢ではないが、自分の作る料理は素人にしてはなかなか美味い。なにもフルコースを拵えられる訳ではないものの、家庭料理としては誰が食べても悪くない部類に入るのでは、と思っている。それでも何日か続けば、飽きがくるものだ。独り身で家族といえば愛する飼い猫たちだが、無論人間の食べ物を与える訳にもいかない。彼は常々、誰か食欲旺盛なひとが、食べるのを手伝ってくれないものかと思っていた。
 そこに現れたのが隣人だった。ひょんな事から親しく近所付き合いを始めたのだが、そのあたりから、度々食事を共にするようになった。知り合ったばかりの頃は恵まれた体格に反して何だか青白いような顔色をしていたが、近頃は食べっぷりも悪くない。聞けば肉体労働もこなす健康な成人男性だからして、そうでなければ心配ではある。いつでも美味いと言って食べてくれるものだから、さほど歳は離れていない筈だが、何だか弟か息子が出来たような気がして楽しかった。
 その隣人が、今夜は何故か困った顔をして、目の前に立っていた。
「う~……え~……なんていうかその、俺も料理出来なくないですけど、ちょっと咄嗟に思い浮かばなくてですね」
「待って待ってなんの話?」
「お隣さんが、えらい事になってて」
「三木さん、落ち着いて、ね」
 隣人・三木の部屋は角部屋だからして、その『えらい事になっている』『お隣さん』が吉田の事でない以上、お隣さんとは吉田の反対隣に住んでいるひとの事だろうか。確か吸血鬼で、日本語は片言だったが、それでも引っ越してきた時は丁寧に挨拶してくれたのを憶えている。もじゃっとした癖のある黒髪、背が高くて物静かな印象のひとだった。
「……って感じで」
 隣人が多少落ち着いて経緯を説明してくれたので、彼はやっと状況が理解できた。
「はぁ成程。うーん……そうかぁ」
 果たして解決方法がそれでいいのかよく判らないが、具合の悪い人に温かい食事を用意しておくのは、悪い事ではないかもしれない。
 とりあえず冷蔵庫を開けて、考える。幸い食材は幾らかあるので、組み合わせ次第では何とかなりそうだ。
「わかりました。三木さん、一応VRCに電話してみて貰えます? あと、お隣さんお家に血のストックありそうでした? 無ければそれもあった方が」
「あ、それは、ありました。さっき買ってきたばっかりみたいなやつが」
「じゃ大丈夫そうかな」
 それでどうして倒れたりするのかという新たな疑問が浮かびはすれど、自分に出来る事をやるのが先だ。
 彼は腕まくりをして台所に立った。

 吸血鬼クラージィは猫カフェ店員である。今の所、肩書きはそれだけだ。

 何の因果かこの街に流れ着いた彼は、その後様々な人々の手を借りてどうにか今の暮らしに落ち着き、日々の糧を得ている。自分が目覚める前から数えておよそ二百年後の未来の世界、それも遠い異国であると知った時は本当に混乱したが、ここは慣れれば快適な街であると言える。人間として生きていた頃、教会の門を閉ざされ放浪していたあの時は、パンひとつ売って貰えなかった。それに比べれば、何でも手に入って有難い事だ。自分の稼ぎで買ったと思えば、喜びもひとしおである。
 昼の子と夜の子が、互いを良き隣人として共に暮らす街。想像もつかなかった事だ。そこに生きて、その光景を目の当たりに出来るのが、彼はただ嬉しかった。
 唯一、未だ慣れないのは、己の吸血鬼としての体だった。日光は当たると痛みを伴い、血を飲まなければ飢えに似た感覚に襲われる。血といっても現代では吸血鬼の為の食品として加工され、一般的に流通しているので、誰かを傷つけたり害する必要はない。それでも、あの濃い赤色をした液体を目の前にすると、どうしても食欲より拒否感の方が勝ってしまう。飲もうと思えば飲めるし、不思議な事に味も嫌悪感はないのだが、彼にとってそれはいつまでも苦手な行為のままだった。
 とはいえ普通の食事を受け付けなくなった、という事ではなく、自分なりにを料理を拵えたりもしている。言葉は少しづつ習得しつつあるが、見たことのない食材や名前が読めない品物も沢山あって、最初の頃は苦労した。売り場を右往左往していると、親切な店員が身振り手振りを交えて案内してくれ、その人とはそのうち顔見知りになった。まさか同じマンションの同じ階に住んでいるとは思わなかったが、それも密かに心強く思っていた。
『……まぁお元気そうでよろしいですが、ある程度はちゃんと血を飲んだ方がいいと思いますよ』
 私が言うのもなんですけど、というのは、二百年前はほんの子供だった知り合いの言だ。今や彼にとってはやはり、この街に来てから随分世話になった恩人のひとりである。
『前歴と経緯がどうあれ、貴方はもはや我らが同胞な訳ですから』
 本当は適切な量や好みのものを、親族や近しい者が傍に居て一緒に探ってやるのだが、とその恩人は言っていた。しかし彼を吸血鬼にしたのが一体誰かは、未だ判明していない。
 彼はそのうち、棚にずらりと並んだ血液パックやボトルが、どういった商品であるか何となく理解出来るようになってきた。中でも一番安価なのは、着色されていない白い人工血液のパックだった。生き血の成分を殆ど含まないそれは、言わば味だけが再現されていてさほど栄養がないジャンクフードに近い。が、彼にとってはそこまでよく解らなかったし、赤いものよりも見た目上幾らか飲みやすかった。
 この身体にもそのうち慣れるだろう。出来れば健康に暮らしていきたい。それをくれたのが誰であれ、彼にとっては第二の人生で、生きて動ける身体があるのは有難い事なのだから。大切にして、日々を生きていこうと思っている。思っては、いたのだ。彼がこの街で目覚めた日から、二カ月が過ぎようとしていた。
 ある夜、仕事の帰りに眩暈を覚えた。近頃とみに寒くなってきたからかもしれない。ずっと眠っていたせいで、身体の機能が追い付いていないのか、彼は以前はなかった冷え性に悩まされていた。温かい飲み物などをなるべく摂るようにしていたが、血液のボトルには相変わらず手が伸びなかった。
 数日が過ぎ、その眩暈にも慣れかけた夜の事だ。そういえば昨日は一日パックすら飲んでいなかったので、彼は近くまで買い物に出た。件の店員は見かけなかった。毎日は居ないと言っていたので、別に仕事があるのかもしれない。
 帰って、玄関で靴を脱ごうとした途端、ぐらりと視界が歪んだ。すうっと身体が冷えていく感覚がある。血の気が引く、とはこういう事かもしれない。
(あ……)
 これは、もしや、まずいのではないか。そう思った途端、彼は火が消えるようにその場で意識を失ってしまった。

「電話してみました、けどやっぱり連れてっても、出来る事はあんまりないって感じみたいです」
「あーそうなんですね……様子見てって?」
「はい、苦しんだり、怪我してるようなら別なんですけど……」
「そうかぁ、じゃやっぱりご飯作っときましょう、起きたら本人から痛いとこないか聞いて」
「輸血とかは、身内の許可やら色々書類がないとダメみたいだし」
「そんなのあるんだ。でもそりゃそうですねぇ」

 何かの香りが鼻をくすぐる。いい香りだ。
 目を閉じていても、辺りが明るいとわかる。
 寒くはない。温かい――

「あっ」
 瞼を開くと、そこは今や見慣れた自分の部屋だった。
 しかしそこに、ふたつの人影を見て、クラージィははっとして身を起こした。
「良かった、起きましたね」
「痛いところとか、苦しいところないですか」
「……?」
 二人とも、ほっとしたような顔をしている。そこで彼は、自分が玄関で倒れた事を思い出し、己が身体を見下ろした。怪我はしていないし、それどころか部屋の中まで運んで貰ったようだった。彼らが助けてくれたのだろう。
「あ、言葉、難しいか」
「僕らのことわかります?」
 自分の顔を指差して言われたので、誰だか解るかと言われたのだと思い、彼は頷いた。
 良かった、と、眼鏡をかけた方の男性が柔和な笑みを見せる。
「お隣さんですよ。そしてこの人は、お隣さんのお隣さん」
「ハーイ。お隣さんのお隣さんです」
「オトナリサン……」
「隣に住んでる人、という意味です」
 茶目っ気のある言い方で、背が高い方の男性が言う。今夜は職場では会えなかった、あの親切な店員だった。
「ワタシハ……」
「クラージィさん、大丈夫ですか」
 ゆっくりと、落ち着かせるような物言いだったので、言葉が覚束ない彼にも聞き取りやすい。
 何処も悪くはない。怖くもない。顔見知りの姿を見て、安心したくらいだ。
「ダイジョウブ……」
「あと、お腹は、空いていませんか」
「……」
 そうかもしれない。隣人たち――三木と吉田は、クラージィの返答を、急かさずに待っている。
 お腹が空いているというよりは、何かが足りない、という感覚のような気もする。だが、現にそう言われた途端、くうと胃が控えめに自己主張した。
「……ハイ」 
 恥ずかしさに、頬が熱くなる。けれど二人は笑ったりはしなかった。そうですか、と言って、吉田が立ち上がり、自分の部屋から持ってきたらしい大きな鍋を示す。
 クラージィはそれに近寄ってみる。蓋を取ると、ふんわりと良い匂いがする。ミルク色の、とろりとしたスープのようなものがたっぷりと満たされているのが見えた。
「これなら牛乳入ってるし、どうかなと思って」
「クリームシチューって日本料理らしいですよ」
「え、そうなの!? じゃ逆に馴染み無かったかなぁ」
 少し温め直してから、器に取る。小さめに切ってある色とりどりの具材が、いかにも美味しそうだ。
「……」
 クラージィが食前の祈りを捧げ終わるのを待ってから、二人も器の前で手を合わせていた。
「いただきます」
「……イタダキマス?」
「ふふ、どうぞ」
 それが彼らの食前の挨拶なのだとは、解ってくれたらしい。
 銀色の匙で掬って、口に運ぶ。あっさりとした鶏肉に優しい野菜の甘み、真っ白な見た目だがしっかりとした滋味に溢れた、重みのあるスープ。温かいものがするりと胃に落ちていく感覚は、とても心地良い。染み渡るように美味しかった。
「はー、これこれ、懐かしいな。給食のやつ」
 三木がほうっと感じ入った溜息を漏らす。
「クラージィさんは、美味しいですか」
 訊ねると、彼が何度も頷いたので、吉田は満足げに微笑んだ。
「アリガトウ……ゴザイマス……」
「良かった。でもお腹空いてたのなら、血も少し飲まないとですね」
「ア……」
 一緒に運んでくれたのであろう、買い物袋の中身を視線で示されて、何を言われているのか解った。飲んだ方がいいのだと思いはすれど、クラージィにとっては今これを差し置いても手を伸ばそうとは思えないのが、正直な所であった。
「もしかして、あんまり血そのものは好きじゃない?」
 と言ったのは三木であった。
「あれは人工血液ですけど、本物には近くないって聞いてますし」
「三木さんよく知ってますね」
「一応、扱ってる商品だもんで。……多分、わざわざ選んで買ってらっしゃいますよね?」
「……」
「あ、ごめんなさい。難しい言い方しました。答えなくても大丈夫ですよ」
 大丈夫、という言葉は不思議だ、とクラージィは思う。誰かにそう言われると、心が僅かに軽くなるような気がする。
「吸血鬼のひとって、血飲まないとやっぱり身体に悪いんですかね」
「そうみたいですねぇ。でも普通のご飯食べられるひとも結構いますよね。会社の子たちはお昼食べに出たりしてるのも見るし」
「さっきちょっと調べたんですけど、血飲む量減らして、普通の食事で補おうと思ったらやっぱ量が必要みたいです。元々の胃のキャパとか、体質にもよるらしいですけど……」
 ふんふん、と二人が顔を見合わせて話しているのを、細かい内容までは解らないまま、クラージィは聴いていた。自分の事を話しているらしい。悪い話ではなく、どうも心配してくれているようだ。あかの他人の二人に気を使わせてしまったようで、申し訳なかった。
 遥か昔を思い出す。温かな善意に、たった一本のペンでしか報えなかった日の事を、彼は未だに憶えている。その後ろめたさが、何処かに残っているのかもしれない。
「アノ……」
「あ、おかわり要りますか? まだ沢山ありますから」
「エッ……ハイ」
 器が空になると、手を差し伸べられたので、つい頷いてしまった。とはいえ料理はとても美味しかったので、二杯目が注がれた事は嬉しかった。
「いっぱいご飯食べて、それで元気でいられるなら、いい事ですけどね」
 はいどうぞ、と、なみなみと満たされた器がまた目の前に置かれる。
「クラージィさん」
「ハイ」
 ふと、三木が思いついたように隣に向き直った。
「もしかして、どのくらい食べればいいとか、自分でも良く分からない感じなのでは」
「……」
 クラージィは言葉を返さなかった。質問が聞き取れないのではなく、どう答えたらいいか自分でも分からないという顔だった。
「もっと、食べた方が、いいかもしれませんね」
 そうかもしれない。このくらいでいい、平気でいられると思っていたけれど、実の所はきっと違っていたのだろう。自分の事なのに、把握しきれていない。まるで幼い子供のようだ。実際彼は吸血鬼としては、ついこの間生まれたも同然であった。
「難しいですよね、そういうの」
 けれども、ものの分からぬ子供を咎めるような言い方でなく、隣人は穏やかに言う。
「俺もついこないだまで、食べるのはかなりおろそかにしてたし。というか腹減ってるんだか何なんだかもう色々忘れてて」
「ねぇ、三木さんだいぶ元気になりましたよね」
「お陰様で……」
 そこまで話してから、吉田がそうだ、と言った。
「これも何かの縁ですし、クラージィさんもたまに一緒にご飯食べません? 量は作るんで、どのくらい食べればいいかも、そのうち分かるかも」
「おっ、いいですねそれ」
 クラージィは驚いて目を見開いた。思わぬ申し出だがしかし、これ以上世話になっても良いものだろうか。
「デモ……」
「今日は突然上がり込んじゃいましたから、次回は改めて僕んちにしますか。……ところで、猫は大丈夫?」
「ネコ」
「うち、三匹いるんですけど」
 柘榴色の瞳の奥が、微かにきらきらと輝く。
「ネコ、ミタイデス」
「あ、猫好きな人だ」
「ふふ、じゃ、決定で。メニュー何にしましょうか」
 あれよと言う間に話は纏まり、結局、大きな鍋はそう長くかからず綺麗に空になった。
「ごちそうさまでした」
「……ゴチソウサマ、デシタ」
「はい、お粗末様でした」
 食べるという事は、生きるという事だ。どのように、はまた別として。必要なものを身体に取り込み、満たされてこそ、新たな一日を始め重ねてゆける。
 けれども自分にとって、何が必要かは、時に容易には知る事が出来なかったりもするのだ。きっと誰であれ、それは多少なりと同じことだろう。であれば幾つかに分かれた道の上、こちらかもしれないよと、示してくれる誰かがいるのは有難い。
 暗闇を照らす、ランタンの明かりのようだ。クラージィは考える。思えばともしびひとつ、以前の自分には無かったのに違いない。そしてこうして今も生きているからには、今度はいつか与えられた光に報いる事も、出来る筈だ。
「人数いるならタコパとかいいかも」
「タコパ……」
「そう、蛸」
「タコ……?」
 首を傾げるクラージィに、三木が携帯端末の画面を示す。
「蛸ってねぇ、これです」
「エッ……!?」
 そこに映っている生き物は、どうも彼にとっては食べ物には見えなかったらしい。彫刻のように整った顔に、明らかな困惑を滲ませた。
 しかし食べたことのないものとあらば、またとない機会とも言える。
「美味しいですよ。吉田さん、タコパ決定の方向で」
「三木さん、たこ焼き機うちにあるからね。新しいの買わないように」
「ウッ……なんで俺の考えてる事解ったんですか……」
「やっぱり……」
 明かりは遠い星ではなく、ごく近くにある。手を伸ばせば、届く所に。
 

bottom of page